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第10話

 フィーデスがエウレと出会ったのはまだ王立の学院に通い始めて間もない頃だった。  学院には十二歳前後の貴族の子どもや将来有望とされる能力を持つ庶民たちとが集められる。卒業すれば護霊庁や王宮に仕えられる未来が約束されているため毎年入学には希望者が殺到し、非常に狭き門でもある。祖父の代で事業に失敗し、田舎にある広大な土地の畑で何とか食いつないでいるような名ばかり立派な斜陽貴族だったフィーデスの実家も本来なら学院にフィーデスを送り出すような余裕はなかったのだが、たまたま能力面で優れていたのと亡き祖父や母親の形見を売り払ったことで何とか学院に滑り込むように入ることができたのだ。  しかし、圧倒的に裕福な貴族や商人の子息が多い学院の中で、既に没落しかけて名ばかりの貴族であるフィーデスは嘲笑の対象でもあった。まだ成長に伸び悩んでいた頃は特に周囲からの扱いは酷く――そんな時に、彼に出会った。  学院以来初めてではと言われるくらいに優秀な能力を誇る孤児院出身の化け物――それがエウレ・トロ―ヴァ。  能力の高さを買われて特待生で入学を果たしており、多少のやっかみはあったようだが周囲は彼のことを恐れていた。この国では四大精霊――火、水、風、土――の力を生まれつき扱うことができる者が少ない割合で存在する。 この国を守護する存在とされている精霊の力は守護に長けてはいても攻撃力となると途端に難しいものとなる。それは術を組み替えれば扱えるとかそういった学習で習得することは容易ではなく、いざという時は生まれつき持っている者たちに頼らざるをえない。  夜の世界の住人とも言われる魔族たちは攻撃力に優れた魔術を扱うことに長けているというが、精霊術で同等の攻撃となると難しいため「攻撃に耐えうる防御力を上げられるだけ上げる」というのが護霊庁のこの何百年もの間変わらぬ考え方だった。  はぐれ者同士、歳は少し離れていても何度か会話を交わして少しずつ親しくなっていった。エウレは出身の孤児院に時々今も顔を出していること。フィーデスは本当はお金がかかるから学院に来るつもりはなかったこと。だが、父がとても大切にしていた亡き母の形見を売り払ってまで道を作ってくれたことに従ったこと。  そんなある日、いつものように二人でいるところに雨が降ってきた。 『エウレ、髪の色が』  突然の夕立――雷鳴が轟き、一気に空が暗くなる。学院の中庭は広く、雨に濡れながら他の生徒はめったに近づくことのない薄暗い東屋に逃れて雨宿りし始めたところで、フィーデスは年上の友人の姿が変異したことに気づいた。普段は黒い短髪はまるで水の精霊・アクィアを思わせる美しい薄水色の長い髪に変化し。そしてよく見ると、耳はやや尖っていて、本を持つ手から腕、肩にかけてなにかの呪言のような紋様が浮かび上がっていた。  たとえば遠い先祖に魔族がいたりすると、時々人が持たない特徴を持って生まれてくる人間がいる。そういう特徴を持つ人間を『キマイラ』と呼び、畏怖と侮蔑の対象としていた。魔族の血が入っていると分かれば学院にはいられなくなる。魔族とは夜の世界――昼の世界を覆そうとしていると看做された仮想敵勢力の一員であり、そんなものを王の近くに置けないという考えだからだ。  だが、エウレが見せた突然の変化はそんな忌々しいものとは正反対のもののように思えた。エウレの高い攻撃力と珍しい紫色の瞳や黒髪であることなどを考えても、魔族の血が入っていると糾弾する隙を伺っている者はいただろう。  絶対に口外しないとフィーデスは硬く自分の中で誓った。こんなにも美しい人のことを、口外する気には一切ならない――それは、今思い返せば立派な独占欲だったけれど。  だから、再会したエウレは自分が裏切ったと考えていることにとてつもない衝撃を受けた。  エウレの姿を見かけなくなり、既に学院を去った後であったことを知った時、ひどく動揺した遠い過去が、今ここに繋がってくるとは。  背が伸びていくにつれ、いつの間にかフィーデスを苛める者はいなくなったが、エウレの傍が何よりも大切だった自分が、彼の中では忌々しい存在へと成り果てていたことの絶望。  過去を打ち払うように頭を左右に振ると、フィーデスは真剣な眼差しでエウレを見て口を開く。 「確かに俺は貴方の秘密を知っている。だが、それを誰かに話したことなど一度もない」 「じゃあ、なんで学院の奴らは俺がキマイラだと知ったんだ?! あいつら、哂いながら……俺の秘密を、暴いてきて……」  信じられるか、と言い放つエウレが泣いてしまうような気がして腕から手を外すと、エウレの手は己の襟元を強く握りしめた。己を守ろうとするかのように。たったそれだけでも、エウレが受けた屈辱や恐怖が伝わったような気がして、フィーデスは全身が一気に冷えていくような感覚にとらわれた。一度は開放したのに、考えるよりも先に身体が勝手に動いてエウレを抱きしめていた。突き飛ばされるかと思ったが、エウレは驚いたように体を硬直させている。 「信じられないのなら、今は信じなくてもいいです。けれど、俺はこの身が裂かれたとしても、絶対に貴方のことを裏切ったりなどしない――エウレ」  少しだけ身を離すと、怒りと怯えと――それから戸惑いが青年の美しい青みがかった紫の瞳の中に溢れているのが見えた。知ることもできなかったとはいえ、誇り高い彼を襲った過去のことを消すことすらできない己の無力さを言葉にすることもできず。己の想いを込めるように形の良いその唇に口づけると、視界が淡く光ったような気がした。

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