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第16話
「これは何だ?」
黒い穴が生じたところよりも外側に落ちていたものに気づいたエウレがそれを拾い上げる。
「ちょっとおお! エウレっ、何があったのお?!」
「ひええええ、壁が! 壁が傷だらけに!!」
最初に現れたのはマスターで、続いて役所の職員が無残な形状になった廊下の壁に悲鳴を上げる。
「エウレ、もしかして昨日の――それは……?」
「ああ、行儀のいいことに入り口から入ってきた。これはあの異形のものが落としていったものだ」
水色の美しい色をした宝石がエウレの手の中で輝いている。
「これは、入庁して五年ほどになり一人前と認められた護霊官に与えられるものです。出世や勤務年数によって、この首飾りの石は変わっていくので」
エウレはフィーデスの説明を聞きながら、それを透かして見たりと色々してみたが宝石自体には何も残っていなさそうだ。
「護霊官の誰かが喰われちゃったとかじゃないのか?」
「……そういえば、先日から護霊庁の中で失踪が続いていると聞いたことがあります。それも、貴方がた術士ギルドの担当だった面々です」
フィーデスがそう言い終えるやいなや、恐ろしく冷たい眼差しが自分を射ていることに気づいたエウレはそっと視線をそらした。それと真っ向から相対して勝てるとは絶対に思えないからだ。
「えーうーれーーーちゃーあああん」
どういう繋がりがあるのか分からないが、フィーデス以前に術士ギルドの担当をしていた護霊官が複数失踪したのはエウレのせいだと言外に責めるシヴィの厳しい眼差しにエウレは気まずそうな顔になりながら後ずさる。別段いじめたり、いびったりした訳ではないが、いつものエウレの口調で「それは違う」「考え方がおかしい」といった返しをされることはエリートとして純粋培養されてきた彼らを傷つけてしまったのだろうことが容易に想像できた。
「……悪かったよっ、どうせ俺が全部悪いんだろ!」
「そういうことを言っているわけじゃないでしょっ」
師弟の言い争いに発展したところで、フィーデスはふと空気が澱んだような気がして周囲を見回した。それを感じたのはシヴィとエウレもだったようで二人とも怪訝そうな表情で周囲を見ているが壁などには異変は起こっていない。
「――エウレ!!」
一人だけ入り口に近いほうに、こちらを向くようにして立っていたエウレの真上にぽかりと黒い穴が開き、先ほどまで暴れていた異形が現れる。牙をむき出しにし、手にはまるでエウレがよく放つような水の刃が握られていた。障壁や加護の術を使うにもエレメンツを取り込むことから始めていたら間に合わない。考えるよりも先に、フィーデスはエウレを異形の真下から突き飛ばす。
「……ッ」
そうして自身が真下になったフィーデスの背に己を貫く刃の感覚が走った。
「フィーデス! お前っ」
「あー!! うちのフィーくんに何してくれちゃってんのよっ、こんの……!」
エウレがフィーデスに駆け戻るのと同時にシヴィが自身の手を炎で巻きながら異形の首元を捕まえた。体躯は良すぎるほど良いシヴィだが、軽々と異形の首を掴んだまま持ち上げると異形は喉元を焼く熱さから呼吸のできない苦しさからもがく。
「アナタ、水ものっぽいわよねえ。水って、火には一見強いように思うけれど、熱し続けたら……蒸発して消えちゃうのよ?」
人が崩れたような異形の全身に熱が行きわたったのか、ウロコのようなものがぽろぽろとはがれ始めたー―が、そこから現れたのはまるで本物の人間の皮膚のような肌が露出していく。その異常さにシヴィも熱を送ることを止めて異形の首から手を放すと、異形は力なく倒れたまま――またぽかりと開いた黒い穴の中に消えていった。まるで、誰かに引きずり込まれていくかのように。
「あの黒い穴……」
考えるようなシヴィをしり目に、エウレは気を失ったフィーデスの様子を見るが、あの異形の攻撃でフィーデスの背から腹部にかけて深い傷ができている。いつもは攻撃にしか使わない力を、作り変えるようにしてフィーデスの傷へと注ぎ込むが血は止まってもすべてを元に戻すのは時間がかかりそうだった。
「先生、フィーデスを……」
「だから、アタシのことはマスターって呼びなさいってば。ちょっと護霊官さんたち! ここからなら護霊庁に戻るよりもうちに運んだ方が早いから……分かったわね?」
はっきりとした宣言に護霊官たちは圧倒されながら頷く。そしてフィーデスを軽々と抱き上げたシヴィはエウレを伴いながら役所を出た。
「……先生、イーリを治した時みたいには……」
「イーリの時と、フィーくんの時とでは状況がまったく違うでしょ。フィーくんは貴方を守ろうとして深手を負っているのよ、貴方が治さなきゃダメ」
気を失った人間の体というものはとても重く感じるもののはずだが、意に介さずどんどんとシヴィはスピードを上げていき、行きの半分ほどで術士ギルドに戻ってきた。すぐにエウレが使っている寝室へとフィーデスを運び入れると、シヴィは腕を組んで部屋の入口へと背を預ける。先生、と呼んだ時のエウレが泣きそうに見えてかわいそうに思ったが、ここで手を貸すわけにはいかないのだ。
『――水の精霊・アクィアと風の精霊・シールヴェの名の下に、この者、フィーデス・ブルーを癒せ』
エウレがエレメンツを取り込んだり、他の護霊官たちのように詠唱を使うことはめったにない。それを行うのは、それが必要なくらいに強い力を行使する時だけだ。シヴィの足元にイーリたちが集まってくる。ついでに兄弟子もこそっと様子を見に来たが、空気中にいわゆる精霊の力が及び始めたのを見て取って、彼らはそれぞれに安心した表情でまた下へと戻っていった。
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