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第19話

「俺、フィーデスが嫌なわけじゃないんだ。でも、肩を掴まれた時に――あの時のことが頭ん中によみがえってきて……求められて嬉しい気持ちは、あったのに」 「それはエウレのせいじゃないでしょ、誰だってあんな酷いことされていたら怖いに決まっている。いくらエウレがピカイチの術士だからって、抵抗できないところに暴力を受けたら怖くて当たり前だ。オレだって絶対にめちゃくちゃ泣いて、ずっと怖いままだと思う。……だからさ、そういう自分を否定しなくていいんじゃない? フィーデス君はエウレのこと、まだまだ知らないってことでもあるよね……だからさ、あのことをざっくばらんに話す必要はないけど、お互いに理解を深める必要はあるんじゃないかなってお節介な兄弟子様は思うわけだよ」  膝に顔を埋めたエウレの髪をハヴァッドが優しく撫でる。こんな時でも海鳥たちはのんきに鳴きながら群れを成して空をめぐり飛ぶ。昔――フィーデスにも出会うより以前、仲良さそうに群れ飛ぶ鳥たちが羨ましかったことをふと思い出した。そのことを久しぶりに思い出すくらいには、今のエウレは一人ではない。 「……ハヴァッド、ありがとう」 「えっ、噓?! あの俺様エウレが、オレにありがとうだなんて……なんか泣きそう、オレ」  わざとらしく泣く真似をする兄弟子に呆れたような顔をしながら立ち上がる。ハヴァッドの器に残っていた氷解け水を術で鳥の姿に変えて空へと羽ばたかせると、近くでそれを見ていた幼い子どもたちが歓声を上げた。護霊官たちは王城の中や護霊庁の中にいることがほとんどなのでこうやって街の中で術を見る機会などほとんどないことだ。    「あ、でもさ、でも……さっきの氷菓子代はちゃんと返せよ。あれは立て替えただけだからな! 今月は魔獣事件のせいでお前が出ずっぱり、うちのギルドは火の車だからさ~。なんなら今の兄弟子様のアドバイス代ということで、チップ弾んでくれても……おーい、エウレさーん」  兄弟子のハヴァッドはいつも飄々としていてどこか得体のしれないところがあるが、エウレに何かあったときにいつもそばにいてくれることが多い。エウレがマスターであるシヴィに出会ったときにはすでにシヴィの弟子のようだったが、シヴィやハヴァッドたちが以前はどこでどういう風に生きていたのかは知らなかった。それでも生きていくには十分だったのだが、フィーデスはシヴィやハヴァッドとはまったく異なる人種と言っていいだろう。 「俺、フィーデスと話をしようと思う」  護霊庁にいきなり訪問して会ってもらえるとは思えないが、たとえば役所の職員を通じれば連絡くらいは取ってもらえるかもしれない。この間役所に検分で来たトルトというフィーデスの同僚ならつないでくれるかも――そこまで考えてから、トルトはフィーデスのことを好きだと認めていたことを思い出してエウレはようやく自分が動揺したことに気づいた。そして、まるでエウレの心を読んだかのように絶妙なタイミングで背をたたいてきたハヴァッドがにやりと笑んで見せる。 「はいはい、考え事するだけ時間の無駄だよ。考えれば考えるだけ、どんどん動けなくなるだけだ。当たって砕けたらオレとイーリたちで慰めてやるからさ。……マスターはフィーデス君のことお気に入りだから、荒れるね、多分」 「そっちの方が問題だな、どう考えても」  シヴィはお気に入りにはとてつもなく甘くなるが、存外好き嫌いの激しい性質であるらしい。容易にその荒れようを想像できてエウレがうんざりとして見せたところで、ふいに風が生温かいものに変わるのを感じた。 「なんか、こういう風が吹くときは危険な時って、……マスターが言ってたな」  異形が現れたわけでもないのに、どこかしら人を不安にさせるような、そんな風だった。

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