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第25話

 ふと目を覚ました時、エウレは暗闇の中にいた。だが酷い血臭が漂っていて吐き気を催す。自分が椅子に座らせられていることまでは分かるが、全身に力は入らず椅子にもたれて座るのが精いっぱいだった。目を覚ましたばかりなのに、具合の悪さに起きていることも辛い。  ようやく目が暗闇に慣れてきただろうか、という頃合で一気に部屋の中に火が灯った。その灯りの向こう側に、椅子に縫い付けられた人のような黒い塊たちを見てしまい、エウレは目を見開く。そのどれもが呆然とどこかを見ていて、だが体のあちこちが崩れたり変形しているものばかりだった。うめき声が聞こえてくるので彼らは生きているらしい。そして、それらは微妙にそれぞれ形は違うものの、何度かエウレたちの前にも姿を現したあの異形たちだった。 「ああ、良かった。大丈夫かな?」  気配を消して近づいてきたのはアッチェという護霊官だ。エウレが目を覚ましたことにほっとしたような表情を見せると、ゆっくりと微笑んで見せる。――その笑顔は、先ほどまでの護霊官とは全く異なるものだった。 「すごいでしょう。これがこの国の抱える最大の闇と言っていいんじゃないのかな。この学院のおえらい人たちはね、なんと精霊を作ろうとしているんだ――それも、ずっと昔から。彼らはその成れの果て――失敗作」 「……しっぱい?」  意識が遠のきそうになるのを必死でつなぎ留めながらアッチェの言うことをおうむ返しにすると、青年はニヤリと笑んで見せる。 「こうやって彼らの人格とかをね、壊していった先に精霊が生まれるんじゃないかってちょっと唆したらね、すぐにやり始めた。本当、人間っていうのは欲深い生き物だよ。まあ、それのおかげで夜の世界から追い出されたボクにも居場所ができたわけだが」 「よるのせかい……」  そこまで何とかエウレが言うと、相手はニヤリと笑い続けたままアッチェの面を脱ぎ去った。まるで今までそこにいたアッチェという人間を消し去ったのようにまったく別な姿形をした人のようなものが現れる。背も高いが横にも大きいその男は額に短い角を持つ、異形であった。長い爪をはやした手のひらを確認するように閉じたり開いたりする。魔獣を世話しているエウレであっても、本物の夜の世界の住人――魔族を目の前にするのは初めてだった。 「でもほら、ボクがこんなことをやっていたからやっと、君みたいな本物の精霊を見つけることができたわけだよ。ボクたちはね、君たち精霊と人間とを見分けることができる。仄かに輝いているように見えるんだ。そして、ボクが精霊を手にすればその力でボクを夜の世界から追い出したあのにっくき王を追い落とすことができる。だけどね、君の人格はいらないんだよ。そんなものあったら化け物みたいなその力を抑えちゃうからね。あ、今は抑えさせてもらってるか。あの可愛い子ちゃん、ボクのことすっかり自分の部下だって信じちゃってぇ、君にちゃんと制御具をつけてくれるんだもん。素敵だよね」  なんとか力を使おうともがいていたエウレだったが、その言葉にとうとう腕の力が抜けてしまった。だらりと下がった細い腕に緑色のブレスレットがむなしく光る。夥しい血の臭いから、ここで何かしら殺生などが繰り返し行われてきたのだろう。この場自体が穢れてしまっている。もともとそういう場所が苦手な上に完全に力を封じられては、今にも意識すら失いそうなエウレには対策を考えることもできなかった。 「……俺が精霊なわけ、ないだろ……俺は……」 「水色のキマイラ、って呼ばれていたんだってね。君がフィーデスに自分の正体をばらした時、アッチェはすぐ近くにいた――隠れていたんだ。アッチェはフィーデスと同様に、君が精霊だと思った。だからフィーデスと恋仲とかになる前に、保護してもらおうと学院の上層部に告げ口した――それが君を守るどころか散々傷つけることになるなんて思わずに。だから、アッチェの意識を使うのはとても簡単だったよ。君への罪の意識をつつくだけで、ボクの言う通りに動いてくれた。ところで、ボクたち魔族にそんな髪の色の奴はいない。ボクたちはみな黒い髪しか持たない。それはボクらの王だろうがなんだろうが、共通だ。知らないって、愚かなことだよね。自分たちが崇め奉っている『本物』が現れたのにキマイラ扱いして追い出すんだから。それにしても、護霊官とやらは無能ばかりだ。君のところに差し向けても、ちっとも情報を得られないでさ」  エウレの目の前まで来ると、力のないエウレの顎を持ち上げる。紫の瞳が無意識に睨み上げてきたのを、アッチェの皮を被っていた魔族は愉悦に満ちた表情で見下ろすと、エウレに向かって水をかけた。 「何を――」  水によって朦朧としていた意識が幾分ましになったエウレの視界に映る景色が変わった。    先ほどまでの異形となり果てた護霊官たちがはり付けられていた壁ではなく、エウレを覗き込む年配の男たちが輪を成している。そのうちの一人が器を持っていた。  ――それは、十年近く前のあの光景とまったく同じ。 「これを精霊だと? もっとも神秘的な存在を語るなど、恐れ多いことを」 「このように変化するものなど、ただの化け物でしょう。髪が薄水色だなんて気色の悪い――『水色のキマイラ』め!」   男たちは誰もが学院の上層部を現す青の長衣を纏っているがエウレだけは着衣を認めてもらえず、水にぬれた体はまだ少年だったエウレの体に変化を起こし――その腕に現れている紋様も、気味悪がられた。 「恐らく夜の世界の者や魔獣との合いの子ではないかと思います。もっと詳しく調べてみましょう――そのうち、この綺麗な顔が化け物になるやもしれませんから、ちゃんと縛っておかねば」  やめろ、とあの時のエウレも叫ぼうとした。  いや、叫んでいたはずだ。だが、学院の生徒たちはおろか、教員ですら立ち入ることのできないその場所でいくらエウレが泣いても叫んでも、誰も助けには来なかった。  これは、あの時の再現だ。  『今のエウレ』がそう認識しても、意識はまるであの時に立ち戻ったかのように恐怖に震えている。術を使うことを奪われ、体の自由を奪われ――化け物を調べるのだと口々に言い訳しながら、男たちの口元はだらしなく歪んでいく。両足を高く持ち上げられ、人との違いがないかを確かめられて――逃げることも許されないまま後孔を穿たれても男たちは下卑た笑いを浮かべながら我先にエウレの体に群がってきた。  長い間人形のように揺さぶられ続けて、エウレの心は遠いところから自分自身を見ているかのようだった。快楽など微塵もそこにはないのに、刺激に弱い部分を刺激され続けて吐精したり気を失ったりする自分がとてつもなく浅はかで淫らな人間に――いや、そういう化け物にすら思えた。   「あらら、泣いちゃった」   アッチェの皮を被っていた魔族はエウレの様子をしばらく見ていたが、やがて青年の青みがかった紫の瞳から一筋の涙が零れるのを見て、はしゃいだような声を上げた。目は開いているが意識が表に出ていないせいか、たまの瞬き以外に青年が身じろぐ様子はない。 「ようこそ、悪夢の世界へ。人間っぽい意識とか人格とか、そういうものは壊しておかないとね」  大きな椅子に腰かけたまま虚ろになったまま涙を流す『精霊』の有り様に、魔族は満足げに高笑いした。

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