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第26話

「どうしたの、イーリ」  夕方になっても帰ってこないエウレにハヴァッドも気になり始めたころ、それ以上にイーリがそわそわしだした。イーリは道端で人間たちからの罵声を浴びながら虐待されてボロボロになっていたのをエウレが拾った経緯があるせいなのか、エウレに何かあると第六感のようなものが働くらしい。うろうろと窓際で行ったり来たりと始めたイーリは、扉が勢いよく開くのと同時に飛び出そうとしたのを扉を開いた人物が捕まえたようだった。 「すまない、マスターはいるだろうか!」  イーリを腕に抱えて飛び込んできたのはフィーデスで、ハヴァッドと奥から顔を出したシヴィは尋常ではない様子のフィーデスに、エウレに何かが起こったらしいことを悟る。 「エウレが護霊庁の中で消えました。一緒にいた護霊官は既に亡くなっていて――何者かが、成りすましていたんです」 「消えた? ……成りすまし……やはり、夜の世界のはぐれ者がこちらにお邪魔していたようね」  いつになく鋭い眼差しのシヴィがハヴァッドに視線を投げると、ハヴァッドも普段ののんびりとした空気を消しながら頷き返す。それから外出の準備をいそいそと始める中、イーリはぐいぐいとフィーデスの服の裾を引っ張ってきた。 「夜の世界のはぐれ者、ですか?」  はぐれ者、という表現が不思議に思えてフィーデスが問うと、いつものように明るい色の上着を纏ったシヴィが黒く流れる長髪を高い位置で結わえる。それからフィーデスに視線を向けると真剣な面差しで頷き返した。 「そう。夜の世界には四人の王がいるの。それぞれに与えられた領地の統治はちゃんとされていて、割と平和に生活をしている――でもね、どんな世界にも、どんな国にも悪いことを考える奴というのはいるものなのよ。とある貴族が王位簒奪を試みたものの、とある王に痛い目にあわされて昼の世界に逃げ込んだ。そいつは特に性格がわるーい奴でね。はぐれ者っていうか逃亡犯よ。王は昼の世界を守るために刺客を放ったけれど、巧みに姿を消していて、なかなか尻尾を現さなかった」 「シヴィ。……貴方は」  フィーデスの驚いたような問いに、しかしシヴィは答えることなくギルドの扉を開いて外へと出ていく。答えは得られなかったが、シヴィの正体を知った気がしてフィーデスも真剣な表情のまま外へと出る。イーリは外に出た途端に暴れると自分で走り始めた。意外と足が速く、フィーデスが馬の準備をしている間にどんどんと遠ざかっていくが、それは護霊庁へと続く道ではなかった。 「イーリは学院に向かっています、シヴィ」 「りょーかい。我々も追いかけましょうか。ハヴァッド!」  はいはい、とギルドから出てきたハヴァッドがシヴィのところまで追いかけて来ると、フィーデスに「驚かないでね」とウィンクして見せた。  ハヴァッドが立っていたところに一頭の黒馬が現れる。それはフィーデスが乗ってきた馬よりも大きく、長い鬣から尻尾まですべてが漆黒だ。馬は高らかに嘶くとシヴィを乗せる。その堂々とした姿は、この国にもかつてはいたという騎士を思わせた。 「イーリを追いかけるぞ」  いつもの女性っぽい裏声ではない低い声で黒馬に変じたハヴァッドに命令を出すと、素晴らしい速さで下町の細い道を駆け始めた。  馬で追いかけるとすぐにイーリには追いついたが、外に出ていた人々は突然現れた『魔獣』に気づくと悲鳴を上げ、すぐに排除しようと石を投げるのが見えた。近くまで行き馬から降りると人々は護霊官の制服を着たフィーデスを見て安堵した表情となる。茶色の毛並みが傷ついていても、イーリは石の雨が止むのと同時に走り出した。人々の罵声――それから再び始まろうとした暴力を一喝して止めると人々は戸惑ったように顔を見合わせた。この国では護霊官の言うことが絶対と考えている人間が多い。王ですらそうだ。精霊を護る彼らは、絶対的な正義なのだと。 「あれは精霊の使いだ! どの者も、危害を加えてはいけない!」  どう見ても魔獣にしか見えない獣を精霊の使い、と言われて人々はざわついた。しかし護霊官の言うことに逆らうわけにもいかず、石を投げつけようと振り被っていた腕を一人、また一人とおろしていった。 「感謝する。この町の皆に、精霊の加護があるように」  はっきりと通るフィーデスの声に、人々は同様に「精霊の加護を」と唱えつつ頭を下げる。 「フィーくん。イーリを見失う前に、急ぎましょう」  イーリに向けられた悪意にたまらないといった様子を見せた黒馬――ハヴァッドだったが、シヴィの一声に再び駆けだす。同様に馬を駆けさせながらフィーデスはエウレのことを思っていた。イーリに与えられた、もしくはそれ以上の暴力や罵倒をあの青年は受け続けてきたのだろう。だからずっと隠してきた。なのに、それは何度も暴かれて――同じことを繰り返して。それでも、自分の大切なものを守ろうと戦ってきた。 「精霊の加護が真実あるとしたら、あんな連中にあるわけがない」  自分で先ほど護霊官としてそう唱えたというのに、思わずぼやいたフィーデスにシヴィは笑った。 「本当ね。罪もないものを悪者に仕立て上げて、そりゃ生きるのが楽でしょうね。さっ、急いでうちの馬鹿弟子を助けにいきましょう。あの子、意外と泣き虫だからきっと今頃泣いているんじゃないかしら……でも、あの子を泣かせた奴にはきっちり制裁を与える主義だから。止めないでねフィーくん」 「奇遇ですね、自分もそう思っていたところです、シヴィ」  二人で顔を一瞬だけ見合わせると、イーリを追いかけていく――そんな彼らの前に、やがてこの国で唯一の王立学院がその姿を現すのだった。

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