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第29話

 アッチェの皮を被っていた魔族は何とか『外』へと逃げ出したところで安堵の息を吐き出した。行ったことのあるところにしか黒い穴を使ったワープは使えないので、何とか一番遠いと思われる下町に近い森の中へと逃げおおせた。ここからならまた護霊庁に戻り人の皮を奪うことができるだろう。 「人間の若造ごときが、ボクの計画を台無しにしやがって!」  そう吐き捨てたように言ったところで、不意に月が翳ったのか急激に真っ暗闇となった。空から吹き付けてくる風――そして、大きな鳥のようなものが羽ばたくような、音。 「……見つけた」  夜の闇に紛れて、漆黒のそれ――今はもう伝説の中にしかいないはずの、大きな竜――から音もなく軽々と飛び降りてきた男は魔族を見て口元を笑みの形に歪めた。その顔はエウレの師と同じ顔をしていたが、竜と同様に漆黒の長衣を纏い長い黒髪を高い位置で一つに結え、風に靡かせている。酷薄そうな両眼は笑っておらず、冷たく男を見下ろしていた。 「あ……あ、あなた様は……」  魔族は腰を抜かすとパクパクと口を動かしたが、それはまともな言葉にならない。何とか逃げようと後退ろうとしたが、男の背後に控えていた竜がさっと動いてその大きな爪で魔族の服を地面へと縫いとめてしまった。 「まさか我らの誇りを捨て、人の皮を被って昼の世界でのうのうと生きていたとは――そんな下等なやり方、今時能のない種族どもでもやらん。恥を知るとよい」  低い声音は怒りを含んでいて、夜の澄み切った空気が震える。今にも自分を喰らってしまいそうな程大きな黒竜を従えて現れたその男を、魔族は「陛下」と小さく懇願するように呼んだ。 「吾をまだ陛下、とその口で呼ぶのか? 貴様はもう我が国の民ではないのに。民でない以上、懇願を聞いてやる義理もない。王位を簒奪しようと騒ぎを起こし罰を恐れて昼の世界に逃げ出したばかりか、吾の宝玉にふれようとし昼の世界までも混乱させた――その罪は重く、もうその命ですら贖えん。ハヴァッド! どういう方法が一番苦しい罰かな?」  愉し気に聞いてきた自分の主に、黒竜――ハヴァッドも哂ってみせたのだった。   *** 「あらあっ、フィーくん!! お久しぶりねえ。事後処理は終わったの?」  黄色いマスターの声に、昼寝をしていたらしいイーリたちがびくっとして起き出した。非難の声はなぜか兄弟子のハヴァッドに向けられ、「ええーオレなのー?」と間延びした声が困惑しているのが聞こえる。久しぶりに訪れた下町にある術士ギルドは相変わらず小さくぼろっとしているがマスターたちには変わりがないようで、フィーデスはほっとした。 「お蔭様で。再びこちらの担当に戻りました。よろしくお願いします」  扉を閉めながら二人に頭を下げるとイーリがとててて、と歩いてきてフィーデスの前で座るとぺこりと頭を下げる。その様子は可愛らしくて、緊張しながら訪れたフィーデスの気を和ませた。ハヴァッドから椅子に座るよう勧められると相対するようにマスターのシヴィが腰かけてくる。その様子は以前となんら変わりのないものだったが、フィーデスはこの場にエウレがいないことを確認すると緊張した面持ちで口を開いた。 「……貴方がたも、魔族だったのですね。しかもかなり地位の高い――護霊庁に連れ戻されたあの魔族を昔の伝記などを基になんとか調べたところ、どうやら地位のある貴族であることが分かりました。伝記にもその姓が残っているくらいの。だがシヴィ、貴方はあの魔族よりも位が上なのでしょう。あの魔族を追いかけ――捕縛し、護霊庁に連れ戻したのは貴方ですよね。むしろ、貴方以外にできる者はいなかった。貴方がいなければ解決しなかったでしょう。ありがとうございます」  両手を組んで話を聞いていたシヴィだったが、フィーデスが頭を下げたところでようやくふっと苦笑をして見せる。普段通り長い黒髪はまっすぐにおろされているが、長い髪には魔力が宿ると言われており、わざと長くしているのも納得がいくような気がする。 「別に大したことはしていないけれどねえ。前にも話したけど、王位の簒奪を目論みた馬鹿な貴族がいてね。そいつ連れ戻すのを口実に退屈なあっちの世界から遊びに来てただけだから。口実のつもりが、こちらでは思いつかないくらい随分とお上品な手段を使っていやがったせいで時間がかかってしまったけれど――うっかり本物の『精霊』も拾っちゃったしね」 「エウレのこと、ですよね」  フィーデスが緊張を隠せないままそう問い返すと、「そのとおり」とあっさりとした答えが返ってくる。彼がどうして『精霊』で間違いないのか――そう表情で問いかけているのを見やって、シヴィは笑った。 

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