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第30話

「夜の世界の住人は精霊を見分けられるの。精霊たちが色を隠していても、夜の世界には光がないからか彼らの存在自体が淡く輝いて見える。落ちていた精霊を拾って、己のものにしてそのまま捕まえておけば夜の世界での地位はますます強固なものになる――最初はその程度に考えていたつもりだったのだけれど。案外可愛くて、放っておけなくなっちゃって。しかも残念なことに、精霊にはもう想い人がいた。わたしは略奪愛とかそういうのは趣味じゃなくてね……気づいたら先生だのと言われて」  困った、と言いながらもシヴィの顔は楽しそうである。   「……エウレの、想い人……ですか?」  戸惑いを隠せず、思わずそう尋ねたフィーデスに後方から何かを噴き出す音がした。そちらを見やると顔を赤くしたハヴァッドが口元を覆いながら震えている――どうやら笑おうとして、何とか堪えようとしているらしい。 「素直じゃないからね、何とかかんとか嫌いになる理由を見つけようと必死になっていた感もあったけど。ああ、それより護霊庁にお届けした『彼』の調子はどう? 元気だった?」  にこりと笑ったシヴィにフィーデスは再び緊張しながら頷き返した。  あの日、シヴィたちと何とか合流してエウレたちをギルドに届けた後、護霊庁へと戻ったフィーデスを待っていたのは『魔獣事件の犯人』だった。錯乱したように馬を襲っていたところを捕縛し、何とか厳重に術をかけた部屋に拘束することに成功したのだが、その魔族はまるでエウレがそうされたように、何度も何度も同じ悪夢を見せられているのか延々と同じセリフを繰り返しては泣きわめき、かと思えばもがき苦しんだりをしている。その異常な様子に怯える護霊官が続出する中、護霊庁の中でも屈指の腕前を持つ術士たちでその魔族を眠らせ、石の棺の中に閉じ込めることになった。今後どうするかもシヴィと話したくて今日訪問することにしたのもある。 「あらら、人間さんたちにはちょっとキツかったかしら。後で回収しておくわね」  ようやくいつものマスターの表情に戻ったシヴィだったが、フィーデスはまだ緊張した面持ちなのを見て首を傾げている。 「……貴方たちの、目的は達成したことになるのでしょうか。まさか、夜の世界に戻るのでは……」  きっと青年の頭の中にあるのはエウレのことなのだろうと思い、シヴィは小さく笑いをこぼすとおもむろに立ち上がった。 「ワタシもね、あの馬鹿貴族やエウレのためだけにこちらに居続けるなんてさすがにしないわよ。元々、ね」  そのままフィーデスを手招いて部屋の奥へと進んでいくと、キッチンの隣にあるいつぞやエウレが椅子で塞ぐようにしていた小さな扉の前へと来た。確か、そこは中庭に続いていると聞いていたが、そういえば中庭を見せてもらったことはない。 「意外とね、夜の世界というのはどこにでも出入り口があるものなの。こんな風に」  今は昼のはずなのに、小さな扉の向こうは夜闇に覆われているかのように暗く、ひっそりとしているようだ。まさかこんな間近なところに出入り口があるとは想定していなかったフィーデスの耳に、イーリが喜ぶような鳴き声を立てるのと表の扉が開く音が聞こえた。 「おっかえりー、エウレ~お前の大好きなフィーデスくんだよ~」  兄弟子がからかうように声をかけるが、扉から入ってきたエウレはそれには答えない。  それはそのはずだ。確認はできていないが、エウレにはもうフィーデスの記憶は――ない。  足音を立てて一気にこちらへと近づいてきたエウレの髪は黒に戻り、いつも通り庶民たちが着る肩まで出した上着に、裾の緩い穿きものを身に着けている。まるで怒っているかのような表情でフィーデスを見やると、自分より背の高い男の腕を力づくで掴みそのまま小さな扉をくぐって中庭――夜の世界へと抜け出た。そのままどんどんと歩いていき、扉から離れたところでようやく立ち止まる。中庭、と彼らが呼ぶその場所は広大な草原のど真ん中だった。遠くに大きな城らしき建物や灯りが零れ落ちる家々の様子が見えるので、本当に夜の世界へと通じているらしい。 「エウレ……貴方、記憶が……」   「てめえの見様見真似のへっぽこな術で俺の記憶が消えるもんか、この馬鹿!!」  いきなりの怒声にフィーデスが立ち止まるとエウレも振り向きざま、青みがかった紫の瞳で見てくる。 「――早く会いに来いよ、事後処理とか仕事遅すぎるだろ」 「本当、口が悪いですよね」  苦笑しながら抱き寄せようとするとエウレが逃げるような動きを見せた。記憶が消えていない、ということの意味にはっとなったフィーデスだったが、エウレの方から抱き寄せられてようやく今、彼が逃げた意味が分かった。エウレは自分が『先輩である』ことに拘っていたことを思い出したのだ。

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