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第32話

 きゅー、きゅー、とイーリの鳴き声がする。  頭はぼうっとしたままだが、なんとかエウレが目を開くと先に起きていたらしいフィーデスがイーリのごはんを用意しているところだった。ここは術士ギルドの上にあるエウレの部屋の中だ。 「フィーデス……?」 「おはようございます。体の調子は大丈夫ですか?」  掠れた声で呼びかけたエウレに対して、いつもと変わらぬ様子のフィーデスだったが、イーリはエウレの起床に気づくとご飯をほったらかしにして飛んできた。そのまますりすりとエウレに頭を摺り寄せてくるのを優しく撫でてやる――と、フィーデスがじっとこちらを見ているのに気付いた。 「イーリは貴方のことが本当に好きみたいですね。いつでも貴方の傍にいて、いつでも貴方が一番だ。……そして、貴方もイーリのことをとても大事に思っている」  ちょっとふてくされたような言い方。  めずらしいフィーデスのその様子を見てエウレがきょとんとしていると、扉のところで盛大に笑い出す声がした。 「ちょっ、フィーデス君ったら!! イーリに嫉妬しちゃったの?」 「嫉妬?」  ハヴァッドがエウレたちの朝食を片手に持ちながら器用に部屋に入ってきた。テーブルに朝食が載ったトレイを置くと、テーブルに片手をつきながら彼らを見やる。 「仕方ないよ、イーリたちはね、精霊は精霊でも四大精霊を守るために生まれてきた精霊だから。つまり生まれつきのエウレの騎士ってこと。見た目はちんちくりんなタヌキだけど……ぎゃっ」  がぶ、とイーリに噛みつかれたハヴァッドがまた悲鳴を上げた。彼も魔族――もしかしたら、本物の魔獣――ではあるものの、いつもイーリに噛みつかれている印象が強い。 「イーリって精霊だったのか! でも、そっか……なんかすごく安心感あるもんな。……って、なんでハヴァッドがそんなこと知っているんだ? 知っていたなら最初から――」 「だって、教えろなんて言われてないもんね、オレは」  エウレの追及をさらりと躱すとハヴァッドは自分に噛みつているイーリを抱き上げた。タヌキそっくりな精霊が睨んできても迫力に欠けるが、一瞬の隙をついて余計なことを喋るなとばかりに指を噛まれ、ハヴァッドがまた悲鳴を上げた。 「生まれつきの騎士はイーリでも、俺もいますから、エウレ」  イーリに張り合いだした後輩にエウレも笑い出してしまう。過去は消せなくても、今ここにあるのが幸せだ。 「でね、それはどうでもいいんだけどさ。フィーデスくんの上司が、城に出頭しろって言ってきたよ。水の精霊をお連れして、ね」  ハヴァッドはようやく伝言を思い出したと口にすると、それから閉めたばかりの扉を開く。……そこには、衣装やら怪しい箱やらを抱え持ったシヴィが待ち構えていた。 *** 「お前の上司がこの国のお姫様だなんて聞いていないぞ、フィーデス!」 「文句を俺に言わないでください、俺も今知りましたから」  城について間もなく、彼らを出迎えたのは綺麗にウィッグを使って髪をまとめ上げ、ティアラで飾り、派手ではないが上等な生地で造られたことが分かる美しい刺繍が施されたドレスを纏ったトルトだった。「よう」と軽く手を上げて挨拶をした途端にそばにいた年老いた侍女に窘められている。てっきりそういう服に変装しているだけなのかと思いたかったが、城に仕える者たちの反応を見る限りトルトはこの城の主の一人であるらしい。  大きな傘で姿を隠すように歩かされているエウレだが、袖に隠れた腕にはあの紋様が浮かび上がり、髪の色は薄水色に変化している。だが、腕やら首やらには多連の装飾品と額冠をつけ、王族に劣らぬ豪華な刺繍が施された長衣を着てうっすらとだが化粧を施された容姿は中性的で、感情を乗せなければ『下町術士ギルドのエウレ』だとは分からない。その美しい姿を垣間見た兵士や使用人たちは慌てて平身低頭して頭を床へとつけていく。  やがて玉座の間だという、王が執務する大広間に通されるとそこには学院の上層部やら護霊庁の上層部やら貴族やらと、この国の中で発言力を持つ者たちが集められていた。  エウレたちが真ん中まで通されると、玉座の王が満面の笑みを浮かべて席を立ち、「こちらへ」とエウレを自分の椅子があるところよりも上に置かれた椅子へと座らせる。その様子に今までざわついていた会場は一斉にシーンとなった。王が再び玉座につくと同時にエウレを覆い囲っていた大きな傘もたたまれてエウレの姿がこの場に集まった者たちに露見する。その姿を見た学院の上層部にいる初老の男たちが「あれはキマイラではないか!」と叫びながら立ち上がりかけたが、近くにいた衛兵に強い口調で着席を命じられた。 「この場に諸卿らに集まってもらった理由はもうお分かりだろう。ようやくこの度の魔獣事件の犯人が捕まるに至った。だが、それは我が国、そして我らが崇拝する精霊への冒涜の連鎖であった」  厳かに語り始めた王の様子に、エウレが不安になり視線を動かすと強い眼差しでこちらを見ているフィーデスと目が合う。 「護霊庁は犯人として夜の世界の住人を上げた。確かにそれは数人の護霊官を殺害しており、殺した護霊官たちの体を異形化させるという残忍な行動をした、恐ろしい魔族である。だが、護霊官や民たちの命を奪い、異形化させるに至ったのはおぞましいことに『精霊』を人の手で作り上げようとしていた者たちがいたからこそだ。魔族の提案に頷き、場所も人の命も差し出した恐ろしい者どもがこの場にいる。その者たちはかつて、精霊が生まれる唯一の土地――『生まれ出づる場所』より一つの精霊の卵を盗み出した。だが、孵らない卵を死んだものとして道端に捨て去った」  ざわつきが大きくなっていく中、衛兵たちに囲まれた学院の上層部は全員が青ざめていった。どうしてそれが分かったのか、と。 「わたくしは次代の王として、あらゆる国を訪ね歩きました。そして、長く学んだ黄昏の国で、失われた『水の精霊』の話を聞いた――水、火、土、風を司る四大精霊は一代に一人しか生まれない。新たな命が生まれていない限り、どこかで生きているはずだと」  ざわ、と人々が動揺する声が大きくなる。彼らにとって精霊とは崇拝する対象『もの』ではあるものの、生身で生きている『者』ではないのだ。それが存在すると言われても、長い間自分たちで創り上げてきた偶像を崇めてきた者たちには理解が難しいらしい。

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