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第33話

「馬鹿な! 精霊が実在するわけが――そこにいるキマイラが水の精霊だというのなら、他にも火の精霊だとか風の精霊だとかがいるのか? だったら連れてこい!」 「学院長、不敬ですぞ」  白い顎鬚まで逆立つのではないかというくらいの怒鳴り声を上げた学院長が立ち上がる。トルトはにこりと笑んで見せるとフィーデスに視線を送る。正確にはフィーデスの足元へと。こっそりついてきたらしい猫に似た姿をしたフェリに。フェリが優雅な足取りで歩いていくと、やがて赤く燃えるような色の髪を持った美しい女性へとその姿を変えた。その瞳の色は赤みがかった紫色だ。どことなくエウレにも似た雰囲気の女性は無言のままエウレのところまで歩み寄ると人々を睥睨する。 「我が名は火の精霊、サラィア。『アクィア』を盗み去った人間、お前の顔は覚えているぞ」  サラィアと名乗った火の精霊の瞳孔が猫のように縦に割れ、学院長の周囲に白い炎を起こしたかと思うと器用に学院長の数少ない頭髪を焼き切った。そして己の手中に炎を戻すとわざと白から青、青から赤へと色を変えてから消す。炎を操るその両腕にはエウレのものと似た紋様が浮かび上がっていた。 「我らを化け物と呼び続けるのなら、我らはもはや不要なのであろう? ならば我らにもこの国など不要――我の炎で焼き尽くしてやろう。我らは貴様らの守護神などではなく、この世界の均衡を護るために生まれてくるのだ。貴様らが勝手に作り上げた文明など、我らには別段必要なものではない故。昼と夜の世界をひっくり返すことすら、我らには容易きこと。それを行わずにいることに驕るなど、甚だ可笑しい。さて、これでも我ら精霊を己の手で生み出せると思っているのか、そこな人間ども」  火の精霊から指さされた先にいた、学院長を始めとする学院の上層部に所属する者たちは一斉に顔色を失った。ようやく自分たちが何を敵にしようとし、何の怒りに触れているのかに気づいたからだが時は既に遅いようだった。   「まさか護霊官を育て上げ、精霊を崇めるための教育を施す学院でそんな恐ろしいことが」 「そ、それより精霊がまさか実在するとは」  人々のざわめきがより大きくなっていく中、とうとう衛兵を突き飛ばし逃げようとまでした男たちだったが、護霊官を始めとしたその場にいる者たちに囲まれて進退窮まった。 「わっ、我々は知らなかったのです! あなた様方が精霊であったとは――我々はただ、魔族からこの国を救おうと……」 「夜の裏切り者と組んでおいて、笑わせる。アクィア。この者たちをどうしてやろうか」  逃げられないと悟ったのか、知らなかったと言い始めた学院長たちに火の精霊は嘆息するとエウレに向き直った。彼らから化け物と言われ続けたエウレにこそ、あの男たちを罰する権利があると言いたげだ。しかしエウレは少し考えた後、「記憶を消しておきたい」とポツリと返した。 「その程度、あの者たちを許すのと同じではないか」 「……あの男たちから俺の記憶が消えるなら、それが一番いい。……俺にとって」  そうか? と釈然としない様子ではあるが火の精霊がパチンと指を鳴らすと学院長たちはその場で唐突に倒れた。今まで彼らを取り囲んでいた人々も突然のことに戸惑いを隠せない。 「アクィアの記憶を焼き切っておいた。そうだな、後のことは夜の世界の王たちに任せようか。どうせならばあちらの世界で、アクィアと同じ目に遭えば良かろう」 「どういう意味だ?」  訝し気に尋ねたエウレに、火の精霊は猫のように目を細めながらニヤリと哂った。 *** 「これで我らもこちらの姿で堂々と外を散歩できる。本来の姿を維持するのは面倒この上ないからな」    倒れて別室へと運ばれていった学院長たちが、今度は姿を消したと騒ぎになったが火の精霊は騒いでいる者たちの記憶すら焼き切ってしまったのか、少しすると誰も彼らの話を出すことはなくなった。精霊の実在と共に、精霊は獣の姿を借りていることもあるという話は急速に広まっていき、猫の姿に戻った火の精霊『サラィア』は満足げにそう言うと大きなあくびをする。魔獣と呼び忌み嫌っていた、一部に翼やら何やらを生やした姿をしているのが目印と知ると人々は敬い始めたのだから調子よいとしか言えないが。 「サラィア様はずっと猫のようなお姿だったらしい。何か不便などはなかったのかな」  護霊官の制服に着替えたトルトが、エウレたちと城の裏門近くで合流したところでその話をすると『サラィア』は猫のままふふんと笑んで見せた。 「猫の姿というのは実に機能的だ。好きな時に食べて好きな時に寝ていても、誰にもこの怠惰を怒られることもない。食事は下僕が勝手に用意してくれるのでな。気が向いた時に手伝ってやることもあるが。我は中々に今の暮らしに満足しておる。……まあ、それは『アクィア』も一緒であろう? ずっと気にかけていたそこの男と、ようやく契ったのだから」  あっけらかんと言い放った火の精霊は一瞬の沈黙をこの場に落とし、そのことに気づいていないかのように楽し気に前を歩いていく。フィーデスにもトルトにも視線をやることができず、顔を赤くしたエウレが知らないふりを貫こうとしたところでフィーデスが口を開いた。 「エウレ。シヴィが言っていた貴方の想い人って――」 「……うわぁっ、その話はやめろ!!」  慌てたようにフィーデスの話を遮ろうとしたエウレに、トルトは助け舟をだすことにした。 「そ、そういえばサラィア様といつも一緒にいる犬の姿をした方もいたはず……コアと言ったか。もしかしてあの方も、いずこかの精霊なのだろうか?」  確かにここまでそれぞれが本性を別に持っているとなると、コアが風や土の精霊だと言われても最早驚きは少ないかもしれない。その問いにぴたりと足を止めたサラィアは振り返ると目を細める。 「あれは、我の犬だ。まごうことなき、犬」 「……犬」  エウレがそう呟きながら引いたのを見ていたフィーデスの耳に、トルトが「サラィア様、かっこいい……」とひそかにつぶやくのが聞こえたのだった。

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