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第35話--LaterTalk

 イーリがはしゃぎながら短い足で駆けていき時々躓きそうになるのを、飼い主であるエウレがはらはらとした面持ちで歩きながら追いかけている。フィーデスが学院に進学するまでずっと過ごしていた懐かしい故郷は一層自然化が進んでしまい、曾祖父の代までどこまでも見事な果実園が広がっていたものだったが、一部にそれが残るだけで今ではほとんど森に還ってしまっていた。  フィーデスの実家は代々州公――王都以外の土地は州公と呼ばれる貴族たちが治めている――の家系で、フィーデス自身は直系にあたるが祖父の代で事業に大失敗してからというもの、商いの方も順調だった祖父の弟に州公の地位も譲ってこの広大な家と土地だけが残されたのだという。この州の端っこ、といっていい田舎の片隅に追いやられてしまった祖父の悲嘆はなかなかだったようだが、父の代になってからは慎ましく生きることに慣れてフィーデスに至っては士官の道を選んだ。  そんなフィーデスの実家までの道は悪路だ。乗り合い馬車は実家の玄関近くで下ろしてくれたものの、昔の名残で入り口から屋敷まではそこそこの距離を歩く。庭園だけは母の遺志で綺麗に整えられているが、広大な庭園の真ん中でかつては豊かに水を噴き上げていた噴水は枯れ、どこかしらに寂れの影は現れていた。 「エウレの方が危ない」  イーリに気を取られて転びそうになったエウレの腕を取ると、エウレは途端に体を強張らせた。別段、何かしら問題があったわけではないが昨晩一泊した宿屋で交わったことを思い出したのか顔が赤くなっているのが見える。  やがて枯れた噴水まで来ると、大人しく隣を歩いていたエウレが立ち止まった。 「なあ、この噴水って枯れているけど、いつから? このあたりって水源は豊富なはずだよな」 「そうですね、近くに川も流れていますから、水に乏しいわけではありませんが……祖父が亡くなった頃にはもう枯れていたと聞いています」  ふうん、と考え事をしているらしいエウレが空返事をする。フィーデスに物心がついた時にはとっくにこのような有り様だったので気にもしていなかったが、名ばかりの貴族である自分がこういう時に恥ずかしく思えてフィーデスは無言のままエウレの様子を見やった。希代の術士は精霊だという本性を別にしても美しいと思う。普段は口が悪いし、機嫌が悪いと睨んできたりもするのでそう思わない人間が多いかもしれないがこうやって静かに考え事をしている時などは彼の造形の美しさを思い知らされるばかりだ。 「今は名ばかりですから、屋敷もこんな感じでがっかり満載ですよ。大丈夫ですか?」 「ああ? うちのギルドのこと知っててそんなこと言うのか、お前。あのおんぼろギルドと比べたら、こっちは天国だろ、天国。イーリの飯があれば俺に不満はない。……水が枯れたのは何故か分からないが、枯れたのなら甦らせればいいだけだ」  事もなげにそういうと、エウレは詠唱もエレメンツの摂取もなしに右腕を地面に翳してみせると、水を呼ぶように手招きをしてみせた。それが契機となったのか、枯れたはずの噴水の底から膨大な水が一気に湧き上がって、フィーデスですら見たこともない以前の姿を取り戻した。 「すごいですね」  さすがに驚いたフィーデスにエウレが得意げに笑んで見上げてきた。そういうところも可愛いと思うのだが、可愛いと言った途端に怒りそうなのでとりあえずフィーデスの心の中にしまい込んでおく。  噴水が突然元の姿を取り戻したのを目撃した、フィーデスの実家の使用人たちが駆け寄ってきた。彼らが目撃したのは、蘇った噴水の縁で喜んで飛び跳ねている、両足に小さな翼をもったタヌキだ。 「こ、これが精霊の力……!」 「フィーデス様がまさか精霊を連れ帰りなさるとは……さすがでございます!!」  使用人たちはタヌキ……もとい、イーリの前で膝をつくと深々と頭を下げる。誤解を解こうと口を開きかけたフィーデスを制したのは、爆笑を抑えるのに必死になっているエウレだった。

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