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りつのあさ
お医者さんから貰った薬をちゃんと飲んでいれば、自分が分からなくなることはほとんどないんだ。ボーっとしたり、眠くなったり、眠れなくなったり、起きれなくなったり、副作用はあるけどね。
今日もすごくスッキリ目が覚めて、調子がいい。
この家での暮らしにも少し慣れた。
もう、昔の僕とは違う。頭ではちゃんと分かっているんだ。
「りつ、行ってくるね。体調悪くない?」
玄関で靴を履こうとして動きを止め、振り返るゆうじ。数分前から何度も何度も聞いた質問だ。
「悪くないってば、ゆうじは心配性だなぁ。」
「心配にもなるよ。薬、忘れずに飲んでね。」
「うん。」
「今日は昨日より早く帰ってくるから。不安になったり寂しくなったら電話して。絶対だよ?」
「うん、分かったよ。」
しっかりとスーツを着て、髪もかっこよくオールバックにセットしてあるのに、ゆうじは心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。そのギャップが可笑しくて、つい笑いが零れた。
「もー、遅刻するって。」
りつが呆れたようにそう言うと、ゆうじはやっと靴を履き始めた。ピカピカの革靴を履いて、姿見の前でネクタイとジャケットを整える。その姿を眺めるのが、りつは好きだった。
身長が低い自分とは違って、長身のゆうじ。細身のスーツは彼のスタイルを引き立たせているし、何よりゆうじは顔が並以上に整っている。
以前カナダ人とのハーフだと教えてもらったが、確かに髪は明るい栗色で、瞳は涼し気な深い青色、鼻筋が綺麗に通っていて、海外の俳優のようだとりつは思っていた。
身だしなみを整えて、ゆうじはもう一度こちらを振り返る。大きな手のひらが、頬に触れた。
「りつ、ありがとう。行ってきます。」
ゆうじはいつも宝物を触るみたいに、優しく優しく僕に触るから照れくさい。今まで殴られてばっかりだったから、優しく触れられるのは苦手だ。
「行ってらっしゃい。」
だから、少しだけ俯いてそう答えるのが精一杯。
ゆうじはそれを見て安心したように笑って、小さく頷いて出て行った。
ゆうじの元に来て暫くは、誰かと一緒に過ごすことが怖くて怖くて堪らなかった。また殴られたら、蹴られたら、乱暴されたら、そんなことばかり考えて、ゆうじの優しい手も跳ね除けていた。触れれば暴れ、目を離すと自傷行為を繰り返す。
ゆうじは、そんなどうしようもない僕に根気よく付き合ってくれた。今じゃ、一人きりの部屋が寂しいくらい。
ふいに、もやもやが胸に広がり始めて、りつは両手で胸を押さえた。
いつも、りつの心を落ち着かせてくれる言葉。
『大丈夫、大丈夫。もう怖くない。大丈夫だよ。』
ゆうじのお日様みたいな笑顔を思い出しながら、小さな声で繰り返し唱える。
ちょうど3回、唱え終わる頃には早くなっていた鼓動も静かになってきた。
「うん、大丈夫。お留守番、できるよ。」
ゆうじはちゃんと帰ってくるから。
もう、1人じゃないから。
大丈夫だよ。
りつのあさ
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