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りつのよる-7

その後りつの父親が自殺しているのが見つかった。遺書も何も残しておらず、りつについて何かを聞くこともできなかった。 りつの母親もりつを産んですぐに亡くなっていたし、その他の親戚も全く連絡が取れない。 この先孤独な人生を送ることが決まったようなものだった。 りつは怪我が治るのを待って(数ヶ所骨にヒビが入っているのと、衰弱が激しかったため)精神病院に入院することになった。 そこでの診断は、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)。りつはやはり、父親から様々な虐待を受けていた。それは、殴る蹴るなどの身体的なものから、りつの人格を否定するような精神的なもの、果てには性的な虐待まで様々。具体的にりつが何歳の頃から虐待があったのかはっきりしないが、長年の虐待のせいでその精神状態はボロボロだった。フラッシュバックと絶えず感じる漠然とした不安感に苛まれて、苦しんでいた。不安定なこの状況を克服しないことには、特別な施設に入ることも出来ない。 けれど、この時点でりつの年齢は18歳。施設で生活できるのは20歳まで。あとたったの3年で、りつは自立して社会に出なければならない。 ゆうじは、りつの様子を見ていてそれは無理だと思っていた。 あれ以来ゆうじには少し心を開いてくれるようになって、お見舞いに行けば控えめに挨拶をしてくらるようにもなった。けれど少しでもりつに触れようと手を伸ばそうものなら、殴られると勘違いしたりつは酷く怯えて泣き出すし、ゆうじ以外の人間(特に男性)に対しては、全く警戒を解いていなかった。常に気を張っていて今にも壊れてしまいそうなりつを、見放すことなんて到底できない。 自然と、りつを引き取ろうと決意を固めていた。 りつを引き取ってゆっくり休ませて、また歩けるようになる日まで自分が支えようと。 けれど、この国では独身男性が子どもを引き取るとなると制約や条件が多い。 ゆうじはりつと暮らす環境を整えるために、アパートを解約して病院からほど近い住宅地に、小さいながら一軒家を購入した。りつの体調に合わせて働けるように、当時の仕事も辞めて新しい職に就いた。そして様々な研修やセミナーを受講し、厳しい審査を通過して、りつの精神状態やゆうじによく懐いているという状況も加味した上で、特例としてやっとりつと暮らすことが認められた。 その間にりつは、入院しながら普通の生活に慣れるリハビリに取り組んだ。毎日決まった時間にご飯を食べる、お風呂に入る、他人とコミュニケーションをとって相手に共感し、自分の思いを伝える、それら全てがりつにとっては初めてのことで、訓練が必要だった。勿論カウンセリングや投薬治療も行っていたが、こちらはまだまだ長い目で見た支援が必要だ。 りつを迎えに行った日、りつは病室でベッドに腰掛け足を揺らしながら窓の外を見ていた。 「りつ。」 「ゆうじ!」 ゆうじが名前を呼ぶと、くるりと振り返る。 怪我が治ったりつは、あの日の姿からは想像もつかないような美少年に生まれ変わっていた。 赤黒く腫れていた瞼も腫れが引いて、顔中にあった痣もなくなり、綺麗な二重と長いまつ毛に縁取られた大きな瞳と、形のいい鼻、小ぶりな薄い桃色の唇がバランスよく配置されている。 傷に覆われていた肌は、陶磁器のように白く、汚れや傷みでくすんでいた髪も、艶やかな黒髪へと変わった。 窓から射し込む光を浴びて、ふわりと微笑むりつを見てゆうじも自然と笑顔になる。 やっと最近見れるようになったりつの笑顔は、ゆうじにとっての太陽だった。 ゆうじはベッドサイドの棚の上に置かれたリュックサックを持ち上げて、部屋を見渡す。 「準備できた?忘れ物はない?もう、ここには来ないからね。」 「うん。」 少なすぎるりつの荷物を肩にかけて、りつを促し、2人で病院を出た。りつを見守ってくれた看護師さんたちは、皆涙を流してりつの退院を祝ってくれて、りつも恥ずかしそうにはにかんでいた。 こうやって、りつの大切な思い出が1つずつ増えていけばいい。辛い過去より、明るい未来に向かって歩き出せるように。夜明けに向かって、一緒に進もう。 りつが19歳の誕生日を迎える丁度1か月前のよく晴れた日に、ゆうじとりつ、2人の生活が始まった。 りつのよる

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