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第8話

「えっ?不倫?」 思わず、といった風に上がった女子社員の声に肩を跳ね上げたのは高坂の方だった。その拍子に今しがた口にしたばかりの茶に噎せ帰り、苦しげに咳をする様子を住吉が正面から半ば呆れた目で観察をしている。 「そうそう。総務の部長とさ、受付の…」 「ああ…あの子」 可愛いもんね、とサラダを箸で掻き回す女子社員の興味はどうやら早くも削がれてしまったようで、噂話と同じようにミニトマトを箸で器用に摘み上げた。 「はー…でも意外かも。総務の部長ってあの石頭でしょ?」 「そうそう。すっごいお堅いさあ、融通効かないし愛想も無いし、みたいな」 「ふーん…。お堅い部長の裏の顔は若い子好きのむっつりスケベかあ…」 勝手にそうと決めつけてはやだあ、と嬌声を上げて笑う女性の声を聞く高坂の冷や汗が止まらない。これ程顕著な反応を示すこの人は間違いなく不倫には向いていないと判断する住吉は最後の一口の飯を口に入れて箸を置く。 「…若い子好きのむっつりスケベ」 「……、…俺の事じゃないよ」 ぽつりと復唱する言葉に高坂の顔にほんのり朱が走る。誰も貴方のこととは言っていないのに、と笑いを噛み殺しつつ、住吉はそっと革靴の先で高坂の脛に触れた。 「人って、図星刺されたら否定するらしいですよ。反射的に」 バツが悪そうに歪む高坂の相貌を見据えたまま、爪先で脛を撫で上げる。先程とは異なる理由で肩を跳ねる反応はまた顕著で、困った人だと住吉の眉が垂れた。ゆっくりと革靴を遠ざけ、立ち上がる素振りを見せる。 「…こんな所で…」 「昼休み、終わりますけど」 煙草吸いに行くんでしょ、と目の端を向けて告げながら席を立つ。燻る程でもない火種に一度詰めた呼気を抜いた高坂も、視線に促されてトレイを手にした。 「…住吉くんも行こうよ」 「俺煙草吸いませんけど?」 互いの頭の中にはあの埃臭い倉庫か浮かんでいる。 高校生がするように、あの部屋で空き缶に落とす吸殻も、その前と後に交わすキスも、決して噂話などにはならない。 秘め事は上手くやるのが鉄則だ。自分達は、バレたりしない。 「行きましょうか」 ざわめきの中、肩を並べて歩き出す。 1時間の昼休み。不貞を働く時間は、まだ少し残っている。

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