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第12話

「智洋くん!」 いつものホテル街で適当に空き部屋を物色し、後暗さに軽く背を丸める高坂とは対照的に罪の意識は薄く、顔を上げて足を進める住吉に声が掛かった。自分のことを下の名で呼ぶ人間は限られている。馴れ馴れしく名前を口にする人間はどこのどいつだと反射的に眉を寄せた相貌を向けると、薄暗い路地の真ん中にまだ二十代前半の、何処か子供のような雰囲気の残る青年が立っていた。 「智洋くん、やっと見付けた!なんで電話出てくれないの?俺心配してたんだよ?」 青年はまっすぐに駆け寄り、矢継ぎ早に住吉に語り掛ける。傍の高坂のことなど目に入らないのか、その丸い目は住吉だけを捉え、切羽詰まったような声音でまくし立てていた。青年の姿を頭から足まで眺めた住吉は、危うく口から出掛けては飲み込んだ「誰だっけ」の代わりに頭を掻く。 「あー…。久しぶり」 「久しぶりじゃないよ!俺のこと忘れたんだと思ってた」 忘れていた。 というより、行きつけの飲み屋で知り合い、2、3回寝たくらいの人間など住吉の中ではほとんど印象に残らない。そもそも確か向こうからしつこく誘われたというだけだ。年下の、それも幼い雰囲気を残すような男はタイプではない。そんな住吉の胸中も知らず、青年は今にも泣き出しそうに目を潤ませて縋りつこうとするものだから、住吉は1歩後ずさる。 「ねえ、また俺とエッチしようよ。ていうか俺達付き合ってたんじゃ」 「あ、それは無いから」 ぴーぴーと甲高い声に住吉は次第にイラつき始める。自分達が今どこに立ってこれから何をしようとしているのかが見えないのだろうか。背後には高坂の気配がちゃんと有る。そもそもいつからそんな勘違いをしていたのか。とっとと場を切り上げてしまおうと過ぎった思考に、つい本音が口を付いた。被せ気味に答えた住吉に青年が硬直する。なんで、と小さく呟き、はっとしたようにようやく高坂の困惑した顔を見上げる。今しがたその存在に気付いた男を睨んだ後、そのまま視線を住吉に向けた。 「なんで!?俺智洋くんのこと好きだよ?付き合おうよ。付き合うのがダメならセフレのままでもいいから!ね?」 「あー…。…しばらくセフレとかいらないから。付き合うとかも無いし。そもそもお前とは付き合ってもなんでもないから。ただのセフレだから」 「ーーー、」 優柔不断な態度を取ったつもりはないが、誤解させていたのなら申し訳ないと思いつつも苛立たが先立つ。言葉を選ぶ余裕は無くなり、オブラートに包むことも忘れた言葉を投げかけられた青年はいよいよ目にいっぱいの涙を溜め、俯いたかと思うと次の瞬間、住吉の頬が音を立てて打たれた。 「痛っ…、」 「住吉くん!」 「智洋くんのバカ!ヤリチン!ばーかばーか!!」 平手1発残し、青年は泣きながら去っていく。若者のエネルギーの衝動性に呆然と立ち尽くす高坂の横で、住吉がまさに苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて地面に唾を吐いた。 ※※※ 「っ、」 だだっ広いベッドの上に組み敷かれ、肌と肌がぶつかり合う音と、ぐちゅぐちゅと立つ水音、自分の唇から零れる喘ぎ声に耳を塞ぎたくなる。それでも頭上から降ってくる乱れた吐息に気付いては手を伸ばし、まだ紅い痕の残った住吉の頬を撫でた。 「…なんすか、」 古傷に触れられたように不快そうに眉を顰めて呟く住吉に高坂は眉を垂れる。ホテルに入ってからずっと、さっき路上で目にした光景を反芻しているような気がしていた。 《そもそもお前とは付き合ってもなんでもないから》 あの言葉は決して自分に言われたわけではない。 だが、住吉の冷えた口調と声音は高坂の胸の中に腰を下ろしたまま一向に去る気配がない。 付き合っているわけではない。 それは自分が相手でも同じだろう。 自分達は恋人の関係にあるわけではない。 住吉にとっては、自分もあの青年と同じ、遊び相手の1人なのだろうか。 若さに任せ、気紛れに男を誘い、誘われ、身体を交わる。ただそれだけの関係のそのうちの1人なのだろうか。 そうであればーーー。 「…つうか、主任別のこと考えてますよね。さっきから」 少しひりつくような声音に鼓膜を擽られ、胸中を見抜かれている事に気が付いた高坂が我に返る。頬に触れたままの手を取られ、そのままシーツに縫い付けられた。反動を付けるようにして強く腰を叩き付けられ、高坂の背が軽く仰け反った。 「っアア…!や、ちが、」 「違わないでしょ。上の空で。…やめます?」 やめる。 この関係を? 高坂の頭が快楽と熱の間で錯覚を起こす。 自分がさっき会った青年と同じ立場であるのなら、彼はいつか来る日の自分だ。 恋人などではないと切り捨てられ、セックスもしないと遮断されてしまう。 やめたくない。 棄てられたくない。 噴き出しそうな感情に涙が滲みそうになった。 「ッ…、やめ、ないで…っ」 「ーーー、」 住吉の手を振りほどいた高坂の手が、自分の上にある身体にまわった。 縋り付くように背を抱き、自ら腰を押し付ける動作に住吉は軽く瞠目し、息を詰める。首筋に顔を埋め、嫌だと頭を振る男の動作に2、3度目を瞬かせてから、激しく腰を振った。 「あ、アァ…っ!もっ、と、…っ、もっと、住吉、くん、」 「っ…、なんなんすか…っ」 棄てられたくない。 だがそれは口にしてはならない。 自分が「今」を棄てられないのに、住吉だけにそれを求めることは高坂には出来ない。 零れそうになる言葉を飲み込み半ば必死に縋り付く高坂は、住吉の動揺に気が付くことはなかった。

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