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第18話

大人になってからの高熱は死にかける、とは聞いていたものの、まさか自分が38度以上の熱を出すとは思わなかった。それでもまだ二十代だからとタカを括っていたが、住吉はベッドから起き上がる事も出来ずにいる。 高熱に溶けるのではないだろうかと思われるような頭でなんとか会社に連絡を入れた。これで無断欠勤にはならないだろう、とお大事にの声を聞いてすぐに電話を切った。 普段ろくに家事をしていないとこういう時に痛い目に遭うのだということも久々に思い出した。空腹だが仕方ないと常備している風邪だけは飲み込んでからベッドに潜り込むと、住吉はまたうとうとと眠りに落ちてしまった。 インターフォンが鳴っている。 夢と現と高熱の境目で目を覚まし、こっちは病人だと無視を決め込もうと布団を被ったが、3度目のインターフォンで痺れを切らした。しつこい、と汗だくの部屋着で起き上がり、のろのろとリビングを渡って機械を覗く。モニターに映る人物の姿に、やはりまだ夢の中なのだろうかとぽかんと見入り、気が付くとほとんど無意識に解錠ボタンを押していた。 「大丈夫?ごめんね。起こしたよね」 玄関先に佇む病身の住吉の姿に高坂が眉を下げる。すまなそうに告げては靴を脱ぎ、ガサガサとコンビニ袋を鳴らしている。 「部長に住吉くんが風邪だって聞いたから。ポカリと冷えピタと、あとインスタントだけどお粥と」 だるい体を引き摺るようにベッドへと戻る住吉の背に向かって高坂が話す。こんな身体ではせっかく家に来たのに何も出来ない、と思う余裕もない。ベッドに腰を降ろすと、高坂は行儀よく部屋の中を見渡すような真似はせずにまずペットボトルのキャップを開けて冷えたそれを手渡してきた。 「熱い?寒い?」 「…熱い、っす、」 じゃあこれ貼って、と続いて冷えピタを渡される。格好悪いとこの期に及んで渋る住吉を置いて、高坂はレトルトの粥のパックを手にキッチンへ向かおうとする。 「何も食べてないでしょ。これあっためるから」 「…今は…いいっす…、ていうか主任、」 そういう所だ。 部下が風邪だと聞いて家にまでやって来て看病しに来るような所。 どこまでも人が良くて面倒見が良いのか。 アンタがのこのこやってきたのはアンタを犯して弄ぶような人間の家だぞ。 熱に侵される頭の中で微かに苛立ちが募っていくのを感じる。 こんな所にーーー。 「主任、こんな風邪ひいてる奴の所に来たらダメでしょ…」 「え?」 振り返る高坂は何の自覚もない。 熱を出した自分が格好悪い。 まだありがとうも言っていない自分も格好悪い。 思考が支離滅裂だ。 熱で頭が上手く回っていない。 「どうして?ほら。熱あるよ。住吉くん」 歩み寄ってきた高坂が身を屈め、あまり体温の高くない掌をぺたりと住吉の額に当てる。子供の熱を計るようなその動作に、住吉の体温がまた上がるような心地を感じて、慌てて身を退いた。 「近い…っ、…アンタ、家に風邪持って帰るわけにいかないでしょ…っ、」 この男が帰る家には子供がいる。風邪は子供の天敵だ。高坂が風邪をひくのも、自分の所為で高坂の子供が風邪をひくのもごめんだ。もっと言えば、その子供の為に慌てて帰宅する高坂を目にすることもごめんだ。 頭が上手く回らない。 いつからそんな風に思うようになったんだろう。 額に触れられただけで全身が熱くなるなんて、それは自分じゃないだろうーーー。 「平気だよ。…それにね、俺は風邪ひいても何とかなるけど、住吉くんはなんとかならないだろ。これ食べて薬飲んでまた寝るといいよ。眠るまでいるから」 ね、と笑う相貌に言葉を失くす。 平気だなんて、なんの根拠もないだろう。 それでも風邪をひいた自分の側にいて、飯を食わせ、眠るまで傍にいるなどと言われたらーーー勘違いするだろう。 「……何を、」 呆気に取られたまま再びベッドに潜り込む頃にはもう高坂はキッチンへと消えてしまった。 何を勘違いするというんだろう。 もし、何かの間違いが起きて自分の中にそんな感情が生まれているのだとしたら。 それは全部この熱の所為だ。 キッチンから音がする。 弱っている時に誰かが家の中にいるということはひどく安心するものだという事を思い出した。 手にしたままのポカリの冷たさに、さっき額に触れた体温を忘れてしまいそうになる。もう一度あの手で熱を測ってくれたら良いのに。そんな風に思うことも、帰って欲しくないと思うことも、全て熱の所為にしようと思いつつ、住吉は荒い呼吸を吐き出した。

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