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第23話

基本的にはイベント事には疎いというより興味が無い。その時付き合ってる男に合わせるタイプではあったが、今年のようなケースは想定したことが無かった。 だが少し頭を働かせておいたのなら気が付くはずの事態にこんなことなら予めゲイ仲間か腐れ縁のようなセフレか友人を押さえておくべきだった。 珍しく淡い後悔を抱く自分に気がついてもまた腹が立ち、結局元のバイト先ーーー発展バーに足を向けてから1時間。カウンターの隅を陣取った住吉は空になったグラスの中の氷を鳴らした。客のいない店内に涼しげ、というよりも寒々しい音が響く。 「…店長。同じのもう1杯」 「……ていうか住吉」 今日のバーの店長ミチルはクリスマスイブらしく真っ赤なドレスで決め込んでいる。豊満な胸を揺らしながら振り向き、だらだらとカウンターに頬杖をつく住吉に眉を寄せた。 「イブの日にそんな辛気臭い顔して座ってるのはやめて!素敵なカップルが来たらどうすんのよ!」 「…ここ男引っ掛ける場所だろ。来ねえよ素敵なカップルなんて」 「下品な言い方もやめて!帰ってよ!」 元従業員だとはいえ今は客だぞと唇を尖らせる住吉の手からグラスを取り上げたミチルがその器を洗いもせずになみなみと水を注いで押し戻す。不満げに店主を見上げる住吉を見下ろし、両手を腰に当てた。 「アンタどうせやけ酒とか言っても酔わないんだからやめなさい。あとお酒に失礼だからやめて」 「…父ちゃんかよ」 「ああ?」 「……母ちゃんかよ」 不貞腐れた住吉の声音にドスの効いた声が被る。動揺もせずにぼそりと訂正しつつグラスの水に口を付けた住吉に見せつけるようにウェーブのかかったロングヘアを掻き上げ、ミチルは小さな溜め息を吐き出した。 「大体イブだってのになんなのよ。前に連れてきたイケメンはーーー」 「……、」 その前に連れてきたイケメンの予定が空いていたのならわざわざイブに元働いていた場所になど来ない。何気ない言葉にますます憮然とした表情を覗かせる住吉の姿に何かを思い出した店主は、あ、と小さく声を上げてから揃えた指先で口元を覆う。 「だから言ったじゃない。家庭ある人はやめなさいって」 「…るせえなババア」 クリスマスイブもクリスマスも年末年始も、高坂は住吉と過ごす事はない。 連休になった今年のクリスマスを終えたなら週明けからは仕事納めまで多忙な日々が続き、そしてあっという間に年末だ。今年の連休は何日間だろうかと指を折ることも嫌になる。 これだから。 ーーー自覚などしなければ良かったのだ。 恋をしてしまえばいつだって会いたくなるに決まっている。 そんな自分の衝動と欲の前には、その対象が人のものであり、家庭があり、今夜サンタクロースになる人間であるということが立ち塞がる。 家庭を壊そうとは思わない。だが、今夜無性に会いたいのは、どうしても会うことが出来ない事と、街の浮かれたムードのせいだろう。 半分頭を抱えるようにして溜め息を吐き出した住吉をミチルは案ずるように見詰めている。学生の頃から見てきたこの男が道ならぬ恋に走ろうとしていることを懸念はしているがどうにも出来ない。住吉につられたように深く息を吐き出そうとしたその時だった。 「あ!住吉くんがいる!」 カラン、と鈴を鳴らして入ってきた小柄な青年がカウンターにいる住吉を目ざとく見付けて声を上げた。こんな夜にこんな店に来る人間の目的は1つに決まっている。早々に目的は果たされたと嬉嬉として住吉へと歩み寄ってきた。 「久しぶりー!なに?ひとり?」 「…ひとり」 薄暗い照明の下に照らされる顔を見遣る。以前1度誘われて寝た男だった。嬉しげに住吉の隣に腰を降ろし、大きな瞳で顔を覗き込む。確か年齢は住吉よりも年下だったということは思い出せたが、名前もろくに思い出せない。 「え、じゃあ遊ぼうよ。俺と」 「……、…良いよ」 どうせ今夜は空いている。 半ば投げやりに答えた住吉に瞠目したミチルが呆れたように掌をひらつかせた。 「やめときなさいよ。こいつ今日は勃たないわよ」 「マジで!?住吉くん勃たなくなったの!?」 「おい…」 「どうせ勃ったところでテキトーなエッチしてうっすい罪悪感にやられるだけなんだからやめなさいって話。言っておくけどアンタ遊び慣れた振りしてヤリチンぶってるけど不倫とか誰かの代わりにして誰かと寝るとか全っ然向いてないんだからやめておきなさいよ」 ミチルの言葉に驚く青年を脇に住吉が何を言い出すんだと睨み上げるも、店主は全く気に留めることなくさらさらと言葉を紡いでいく。 お前は俺の何を知っているのだと睨め付ける住吉の目にミチルがまた鼻から息を抜く。 確かにこの男の全てを知っているわけではない。 それでも、放って置いた末に、らしくない顔を見ることは性分に合わない。 困ったように眉を垂れて自分を見下ろすミチルを見上げた住吉が対照的に眉を寄せてグラスの水を煽る。 「…お節介ジジイ」 「…もう1回言ってごらん」 「お節介ババア」 ふん、と鼻から息を吐き出したミチルが苦笑して住吉の頭を撫でる。作り物の胸を眺めているうちに住吉は、酔いが回ったように睡魔に襲われる感覚を覚えた。 ※※※※※※ 軽い二日酔いだ。 てっきり昨日で終わったと思っていたクリスマスの装飾が取れない社内のエントランスを抜け、住吉は久々に喫煙室へと直行する。何か気付けをしなければ午前中は使い物にならないだろうと判断し、久方ぶりに購入したタバコのパッケージを開ける。時間は9時10分前だった。 昨日の晩は結局早々に閉めた店でカラオケ大会になった。ミチルも後からやって来て住吉を誘った青年も何かを歌っていたが覚えていない。自分自身も1曲歌った気がするがその事の記憶も曖昧だ。 やれやれと唇にフィルターを寄せて穂先を焦がす。深く息を吸っては吐き出したその時だった。 「あ。いた。おはよう。住吉くん」 ふらりと喫煙室に現れた高坂の姿に思わず噎せ返る所だった。ガラス張りの向こうから近付いて来たことにも気付いて無かった住吉は軽く目を見開き指先に白筒を挟んだまま呆けたように高坂を見上げる。 「珍しいね。タバコ」 「…おはようございます」 普段の住吉ならば昨日は良いパパしましたか、だのサンタさん、だのと要らない口をきく所だが、今日は本調子では無い上に不意を突かれたことによってそんな悪態も出てこない。それでもいつもの様に嬉しげに歩み寄ってきた高坂はカサカサと手にしていた紙袋を住吉に向かって差し出した。 「はい。プレゼント」 「…は?」 クリスマスの、と付け加えられ、住吉はますます驚いて目を瞬かせる。向けられるままに紙袋を受け取り、中を覗き込むと中身は真っ赤な包装紙で綺麗なラッピングが掛けられていた。 「住吉くん、外回りの時にいつも寒そうだから。マフラーなんだけど…良かったら使ってね」 照れてはにかむ高坂と手の中にあるプレゼントを見比べる。 プレゼントの意図は、等と尋ねることも忘れた住吉が指に挟んだまま灰だけが伸びてしまったタバコを水の張られた灰皿に落とす。 アンタそんなんだから、と込み上げる苦笑いよりも先に顔を上げ、高坂に向かってひらひらと手の平を振った。 「主任、」 「ん?」 目線だけで周囲を見渡す。朝一番の喫煙室は意外に人が寄り付かない。 片腕を伸ばして高坂の首に絡める。緩い力を掛けて上体を傾けさせると、掠めるように、一瞬だけのキスをした。 「ーーー、」 「ありがとうございます」 使いますよ、と呟く口元が微かに緩んでいる。 驚き、今住吉がしたように慌てて周囲を見回す高坂を置き、喫煙室のドアに手を掛けた住吉が首だけで振り返った。 「…俺もお返しさせてくださいよ。何か欲しいものありませんか」 「え。良いよ。俺があげたかっただけだから…」 「無かったら、…身体で返しますけど」 手を伸ばし、高坂のスーツの袖から伸びる指、人差し指を1本絡めてきゅっと握っては離しつつ目線で見上げて囁く。 その意味を汲んだ高坂の目元に、ラッピングの包装紙に似た赤が走る様を見て、住吉はようやく満足げに口元を持ち上げてから紙袋を手に喫煙室を出て行った。

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