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第24話

木曜の夜を待つようになったのは、いつからだったか。 「え、」 「金曜日祝日でしょ?だから木曜なら朝まで飲んでても平気じゃない?智洋くんも」 朝から電話を寄越して来たのは古い遊び友達で、住吉の言い分を聞かずに一方的に通話口に向かって話しているようだった。同じ遊び仲間の誕生日を祝う席には問題は無い。ともすれば仕事に流される日々だ。時々遊びに出るような用事が無ければ渇いてしまう、とそれなりには思っている。 だがその曜日が問題だ。そもそも当日の朝に電話してくる方が間違っている。 「いや、今日はちょっと…」 「え、デート?」 「……デートじゃないけど」 木曜は予定がある。 脳裏に浮かぶ顔は今日もどこか戸惑ったように笑っていた。その戸惑いがちな表情が今夜の逢瀬がデートなどではないことを物語っているようで、僅かに間を空けた住吉は思わずむっとした声を出す。その隙を突くようにして、電話の向こうの相手はさっさと会話をまとめ始めた。 「デートじゃないなら良いじゃん。じゃあ7時にね」 「ちょ、」 一方的に電話が切られる。朝の支度の最中だった住吉は呆然とスマホを見詰めた後に、淡い溜め息を吐き出してから選ぶことなくネクタイを手に取った。 ※※※※※ フロアの隅の使われていない会議室、テーブルの上に雑然と乗せられた椅子の間に身を潜めるようにして高坂が人待ち顔で待っている。昼食の後の一服中に届いた呼び出しに気付き、口にしていたフィルターの代わりにミントのタブレットを放り込んでからこの部屋に来た。普段の木曜日は待ち合わせ場所だけを記された簡素なメッセージを寄越してくる住吉からの文章が今日は違った。 「…すみません。遅くなって」 会議室のドアが静かに開いた。部屋に向かおうとした側から別の上司に呼び止められ、やっとの事で話を済ませた住吉が微かに息を乱して現れた様子に高坂が小さく目を瞬かせる。歩み寄り、どうしたの、と声を掛けるより先に住吉が呼吸を整え、高坂と1度目を合わせるも、すぐに不服そうな眼差しで視線を逸らした。 「…今日、…用事入ったんで」 「……ああ…」 まるでその事を口にすることすら厭うような声音だった。早口で落とされたその言葉が僅かに反響する。ぼそ、と耳に届く声に間があり、高坂がどこか気の抜けたような声を漏らした。 「…だから…今日の待ち合わせは無しですから」 「…ん、…わかった、」 いつもと同じ穏やかな声音に住吉が浅い溜め息を漏らす。ほとんど無意識に零れかけた溜め息を自覚し、はっと我に返る。たかが週一の遊びの約束が無くなった位で、と眉を寄せてようやく顔を上げ、目の前に立つ高坂の表情に再び瞠目した。 見るからに肩を落とし、眉を垂れて寂しげな笑みを浮かべる高坂へと思わずそっと距離を詰める。その動作すら自然に受け入れる高坂の姿に住吉の方が戸惑った。 「…なんて顔してんですか」 「…え?」 指に触れる。逃げないそれを緩い力で掴み、顔を上げて唇を寄せる。重ねた唇もまた、逃げる事はなかった。辛口のミントの味がする唇を食んだ。 「ーーー、」 「…良かった、でしょ。主任。…今日は俺と会わないで、真っ直ぐに家に帰れるんですから、」 潜めた声は低く籠る。 その言葉にようやくはっとした高坂が困惑を露わに視線を泳がせる。何に困惑しているのか。それすらも理解していないような表情に見えた。 「…うん、……けど、」 何に困惑しているのか。 自分の想いに。指からも、キスからも逃げなかった自分に。 囁くような声の後、掴むように、確かめるように住吉の唇が塞がれる。互いに啄むだけの静かな口付けを数回繰り返すうち、知らず握り合っていた指に力が籠る。スーツ越しに触れ合う胸板から伝わる体温が確かに上昇する気配を感じた。 「……また、…来週」 「…うん、」 確かめるのは来週なのか。 何を確かめるのか。離れていく胸がざわつく。 会えない事を寂しく思ったことへの困惑は口付けによって確信に変わってしまうようで、高坂はきつく眉根を寄せる。 その表情を目にすることなく背を向けた住吉もまた、ざわつきが収まらない胸を制するように拳を握りしめて部屋を出る。 そもそもーーー会えないことを伝えるのなら、メッセージ一通送れば済むことなのに。 木曜の夜を待つようになったのは、いつからだったか。 木曜の夜を待つようになったのは、どちらが先だったか。 霧の中に迷い込むような。そんな感覚に、また心が揺れる気配を覚えた。

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