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第40話

帰宅した直後、薄暗い部屋を見渡した高坂は今日が木曜日だという事実に直面する。 木曜日だと思ってしまえば、未だ想いはあらぬ方向へと飛んでいく。目を逸らそうとする一方で、今日も一週間のうちに溜まった細々とした仕事を片付けてからの退社だった。 木曜の夜の帰宅は遅いという事が習慣になっている妻は、子供たちを連れて高坂の実家に出掛けている。そこで夕食を済ませ、祖父母である自分の両親と遊び、子供たちが眠たくなる頃に帰宅する。今日もまた同じルーティンらしく、夜八時を回った自宅は無人だった。リビングの電気も点けずに自室へと向かう。鞄と上着をデスクの前の椅子に掛け、ネクタイを緩めつつ寝室へと足を向けた。 シャツを脱いでしまわなければと思いつつも、疲れた体をベッドへと橫たえる。空腹感はあるが、リビングからキッチンへと向かうことも億劫に思えた。 瞼を落とす。今日は木曜日だったか、と反芻しては軽く背を丸めた。 ーー住吉の背中の黒子の数と、ベッドでの仕事。 昼間耳にした声が脳裏に蘇る。 久方ぶりに住吉と相対し、会話らしい会話を交わした日だというのに、耳に残ったのはあの谷地という青年の声と勝ち誇ったような横顔だけだ。 ーー昔と変わっていませんでしたよ。 不思議と、嫉妬は起こらない。 ただ。 「……羨ましい、な」 住吉と同期だという谷地。あの言葉は、自分はただの同期ではないと高坂に知らしめる為の言葉だった。何のために、などと思うような余地は無い。あれは自分と住吉の関係を知っているからこその牽制だろうということくらい高坂にもわかる。 それがどうしたの。 そんな一言を返すべきだったのだろうか。だが、自分と住吉はもう何の関係もない。あの牽制は無意味だ。ーーそれとも、自分と住吉の関係が無くなったことを知った上での釘だったのだろうか。いずれにせよーー。 「…智洋、」 羨ましいと。名を口にしてしまうと。 胸の奥に納めた筈の感情を自覚してしまう。 谷地は昔のーー自分が知らない住吉を知っている。 自分の目の前で谷地とじゃれ合う住吉は自分の知らない顔を見せていた。 その顔は、谷地と二人きりの時、ベッドの上でも見せるのだろうか。見せていたのだろうか。 そして今、谷地は住吉のあの手に触れ、触れられる事が出来る人間だ。 羨ましい。 浮上する想いは身体中に広がり、疼きとなって高坂の中に腰を降ろす。瞼を閉ざしたまま、しばしの逡巡を経て高坂の手は自分の下肢へと伸びた。 片手でベルトを緩め、前立てを外して開く。下着の中に指を押し込み、熱に絡めた。 「…ん…、」 亀頭を擦り、鈴口に指を突き立てる。脳の真ん中に鎮座する住吉の手が自分の両脚の間へと指を伸ばし、欲を捉えて離さない。たちまち芯を持つ熱を扱き上げ、淡い息を逃した。 「っ…、智洋、」 これだけで勃ってるんですか。 意地の悪い声までもが脳裏に浮いてくる。幾度も自分を嬲り、囁いた声が驚く程明確に鼓膜を擽ってくる。また背を丸くした。身を縮め、衝動のままに欲を弄る。空いた片手を口元に運び、親指の背に歯を立てた。 「ッ…、智洋、…もっと、」 足りない。 無造作に熱を扱いては呟く。シーツに顔を埋めた。双丘の奥が疼き始める気配に、自分は酷く淫乱になってしまったのかと思っては泣きたくなる。 これだけでは足りない。足りないのはーー自分を甚振る男ではなく。 「智洋、」 あの指が、手が。自分を貫き、揺さぶる楔が。意地悪く、甘く囁く声が。上気した眼差しが。 彼の、全てが。 「っあ、あ、…ッ、く…!」 下着の中で熱が迸る。彼がそうしたように射精の途中の雄を音を立てて扱き、白濁を塗り込めた。縮めた背中で息を吐き、一層きつく目を閉じた。 彼がこうして自分に触れることは、もう無いのだ。 彼の全ては谷地へと向けられる。そこに情が介在しているのかは知らない。知りたくは、無い。 「…羨ましいな」 自分が文字通り渇望するものを谷地は全て手にしている。そこにもし、自分が今もなお欲しがっている住吉の情が在るのなら。 身体から熱が引かない。後始末をしなければと高坂はのろのろと起き上がる。汚れた手を携えて洗面所へと歩み出した。 住吉の全てが谷地のものならば、自分のこの想いなど、冷やして流してまたしまい込むしかないのだろう。 ぼんやりと思いつつ、風呂場の電気を点ける。脱衣する最中にも脳裏から去ろうとしない住吉の姿に込み上げる熱さを、見ない振りをした。

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