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第41話

半日眠っていたらしい。 休日なんて特にやることは無い。ベッドから起き上がった住吉は真っ直ぐに冷蔵庫へと向かい、中を確かめる。最近ワーカホリック気味に働いている二十代の独身の冷蔵庫にめぼしいものは見当たらず、溜め息混じりに買い出しに行くことに決めた。 近所のスーパーも夕方を過ぎれば少しは人は引くだろうかと思いつつシャワーを浴び、ほとんど部屋着に近い衣服に着替える。耳朶を軽く擦ってから、休日しか用の成さないピアスの穴を埋めてやるかと引き出しを開ける。乱雑にピアスが収められたピアスケースのその奥、小さな箱が目に入った。 「…あー…」 中身は勿論覚えている。 捨ててしまおうかと指を伸ばしかけるも、捨てるにはまだと躊躇する。 ーー別れた相手から貰った物などというが、そもそも付き合ってすらいなかったという事実を、こうして一つ一つ確認させられているような気がした。 ※※※ あげる、と小箱を差し出す高坂と目が合わない。スタイリッシュなフォントで英字が刻まれた箱を開けると、中から小さなピアスが顔を覗かせた。シルバーの台座の上、濃く深い赤色の宝石がそっと鎮座している。いつもの通り、木曜日の夜、適当に物色したラブホテルの一室でのことだった。 「どうしたんすか。急に」  シルバーも宝石も、まさか本物ではないだろうなと住吉は眉を寄せる。本物であればこんな高価な物は貰えないだろうと思うも、例えレプリカであっても装飾品を貰うことを躊躇う。自分は高坂の恋人ではなく、高坂は人のものだ。同じ部署で、上司と部下でという関係などとうに飛び越えた間柄のこの男からピアスなどは貰えない。重たい、と自分に言い訳しかけては気が付く。重たいのではなく、覚悟が出来ていないだけだ。 「…この間ね、街歩いてた時に…見掛けて…住吉くんに似合いそうだなって」  照れながらもどこか歯切れが悪く高坂は言う。街を歩いていたなどと言うが、それは恐らく休日に自分の嫁と子供とショッピングにでも出た時のことだろう。不貞を働く相手への贈り物をそんな時に見繕うなどある種の度胸と鈍感さを兼ね備える上司に住吉は思わず苦く口角を歪めた。 「…俺言ったことありましたっけ。ピアス開いてるとか」 「無いけど…、知ってるよ」  まだシーツの乱れていないベッドの上、高坂の指が住吉の指に向かって伸びる。右耳の耳朶にそっと触れた指先が、目を凝らして初めてわかる小さなホールをなぞった。  若気の至りで開けたピアスの穴は社会人になり、スーツを着る会社員になってからは活躍することはない。それでも塞がってしまうのは惜しく、休日には昔自分で購入したり人から貰ったピアスを入れている。 「両耳に開いてるよね。塞がってないから、休みの日は今でもピアス付けるんじゃないかなって」  柔らかい眼差しと指の腹の感触と共に送られた声に住吉が目を伏せる。ほんの一点しか触れられていない耳朶が微かに熱を帯び始める。  休みの日は高坂には会えない。妻も子供もいる、表向きには誠実な父親は休日は家族サービスに費やすから、自分が会う余地など与えられない。  だったらこのピアスを付けて高坂に会う時間など無いだろう。  貰った物を身に付け、褒めたり喜んで貰ったりしたいとは思わない。それでも、この男から貰った物を無下には出来ない。引き出しの奥にしまい込むことも出来ず、一人休みの日にこのピアスを身に付ける自分の姿を想像しては淡い溜め息が漏れそうになった。住吉が目を伏せたままでいることに眉を垂れた高坂が、そっと顔を覗き込む。 「迷惑だった…?」 「…ていうか、…いつ、付けようかなって」  複雑な心中をざっくりと纏めて呟く住吉に高坂が目を瞬かせる。視線を上向かせ、小さく唸った。 「休みの日…とか、」 「…ほんと…そういうとこありますよね。主任」  この男のこの鈍さが無ければ、きっと不倫などは続けていられない。休日のデートを取り付ける勇気も、今ここで付けて見せる可愛げも持ちわせていない自分がもどかしくて歯痒い。触れられた耳朶から熱が引かない。微かな熱は増幅し、そのうちちょうどこの宝石のような強い赤色を放つようになるのだろうか。 「ありがとうございます。付けますよ。今度」  ぽつ、と落ちた呟きに高坂が嬉しげに目を細める。  不貞を働く相手へ軽率に宝石を送ってくる。そんな高坂に手を出した自分が悪い。今更の反省を脇に置き、蓋を閉めた小箱を手の中に握り締めたまま住吉が高坂の耳朶に触れる。閉じた瞼が、今この場にいる理由を思い出させることとなった。

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