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第62話

帰宅はしたものの、ろくに眠ることが出来なかった。 ほとんど半開きの目のまま出社する羽目になった住吉は、朝から何度目かわからない欠伸を噛み殺した。 いつもと同じ通勤の道を歩きながら、昨日の夕方にあの人気のない物置で高坂に言われた言葉を幾度も反芻している。 終わりにしよう、も、ごめんね、もひとつも意味がわからないままだ。 ただわかるのは、高坂が自分に対峙して抱いて欲しいと口にしたのは、おそらくは最初で最後になるのだろうかということだけだ。 住吉には、高坂に終わりを告げられる事への心当たりがない。 確かに自分が始めた───それも、無理矢理に関係を持ったもので、歪で、道ならぬものだった。 だが、住吉の心境は次第に変化していて、いつしか自分の抱く感情は、高坂の心境とも重なり合っていると思えるような機会は幾度もあった。 今手に持っているプロジェクトを無事に終えられたのなら、胸に収め続け、今にも爆発してしまいそうな想いを高坂に告げようと思っていた。高坂の反応を夢想し、踊り立つような衝動が湧き上がるのを、仕事を理由に押さえつけるような意識さえあった。 それがどうして。 自分との関係がバレたのか。 一晩中考える中で、そこと思い至る瞬間もあった。だがそうであるのなら、高坂はその事を口にし、自分を説得するのではないだろうかと思う。 高坂は何一つ理由を口にしていないのだ。 もし高坂に二度と触れられないのだとしても、理由が知りたい。 理由もなしに、この感情を葬ることは出来ない。 今までの恋とは違うのだ。 欠伸によって目尻に溜まった涙を拳で拭って顔を上げる。気が付くと、会社は目の前に迫っていた。高坂はもう出社しているだろうか。きゅ、と唇を結んでカバンを持ち直し、エントランスへ向かって革靴を鳴らした。 自分が所属する部署が置かれたフロアがどこかざわついている。日頃のどこか気だるげで、それでも各々が仕事につこうとする一日の始まりの空気が漂っているはずのフロアに落ち着かない空気がある。 何かあったのか、と不審に眉を寄せつつフロアに足を踏み入れた住吉がふと人だかりを目にした。人が集まっているのはフロアの中腹にある柱に設置された掲示板の前である。 掲示板には社内メールで回覧されるような業務内容や報告、会社からの報せが印刷されて貼ってあることが主である。大抵の社員はメールに目を通す為に、最近では掲示板はあまり活用されない。 急な人事か何かだろうか。カバンをデスクに置き、住吉もまた掲示板へと歩み寄る。やや高い位置に真新しい掲示物が貼っているのが見えた。目を凝らし、住吉はその場に静止した。 「───…」 掲示板は1枚の写真だった。 スマホで撮影したのか、画質は鮮明である事がわかるが、その紙の半分には不自然にモザイク処理が施されている。 「…主任…?」 モザイクが掛けられていない人間の顔は、よく知った顔で、その横顔は自分が目にした事の無い種類の表情に見える。 「ね。あれ高坂主任だよね」 隣に立った女性社員が住吉の呟きを拾って声を潜めて声を掛けてくるも、住吉は立ち尽くしたまま動けない。 「不倫?浮気?」 モザイクが掛けられていない箇所には、シャツからはだけた肩の肌色が映っていた。 その先にある腕は、モザイク処理をしている人間の体を抱き締めている動作をしていることが伝わる。 悲しげな目をした高坂は、半裸で誰かを抱き締めている。 その誰かは───。 「これ社内のどこかかな。相手、誰だろ」 答えを待つでもなく女性社員が続けている。 「ていうか…主任、もう来てるのかな、」 「あ、来てた来てた。俺見たよ」 前に立っていた男が振り返る。興味と同情が入り交じったような不思議な目をしていた。 「呼び出されたんじゃねえかな。さっき部長も出ていったから、」 住吉は、弾かれたようにその場を離れ、そのまま自分のデスクに戻ることなく部屋を飛び出した。

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