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第64話

出社してすぐに、フロアの異変には気が付いていた。 先に出勤していた同じ部署に所属する人間達から向けられる視線の意味が始めはわからなかった。 普段通りに高坂は、にこやかな笑みを称えながらデスクへと向かい、カバンを抱えたまま、更なる視線が向けられる気配に顔を上げた。 掲示板の周りに人だかりが出来ている。 人だかりの人間たちは自分の姿に気付くと、さっと目を逸らしたり、あからさまに好奇や侮蔑、時には落胆にも見える目を向けたりと各々の反応を示した。 どうかしたの、誰にともなく声を掛けつつ掲示板へと歩み寄った高坂は、やがてそこに貼りだされた1枚の写真に大きく瞠目し、立ち尽くした。 話は誰がどこから部長へと手渡したのだろう。 あの写真は誰が撮り、加工し、あの場へと貼り付けたのだろう。 あれは昨日の倉庫での自分達の姿だ。 住吉が、住吉だと判らないように処理されていて良かった。 すぐに来るように、と呼び出されたのは役付きの人間達が使うような会議室だった。 この朝の短時間の間に話はどれ程大きくなっているのだろうか。 いずれにせよ、自分は───。 エレベーターを降り、また背筋を伸ばす。 申し開きをするつもりはない。 言い訳もしない。 一瞬だけ妻の顔が脳裏に浮かんだが、それももう過去の事へと変わりつつあるのだ。 自分は今、失くすものも怖いものも無いのかもしれない。 自嘲に口角が上がる。その唇を引き締め、ドアノブに手をかけ、力を入れる。 失礼します。声を掛け、返答を待ってドアを開ける。部屋の中には、高坂が思っていたよりも少人数の、所属する部署の中での重役たちが顔を並べていた。 「高坂くん。…どういうことだ。あれは、」 あの写真は。ドアが閉まると同時に口火を切った上司の目が、困惑に揺れていた。どうして君のような者が。そう思っているのならば、有難い話だが、自分を買いかぶり過ぎだ。 脳裏にある顔はひとつしかない。瞼を閉じては開いた高坂は息を吸い、深く頭を下げた。 「あれは…、…この度のことは、全て、私1人の責任です」 失くすものも怖いものも何もない。 だから自分に出来ることのただ一つを、全うするべきだと、思った。

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