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第67話

許さないと言った目に、この期に及んで胸を高鳴らせた自分に呆れる。 騒々しい居酒屋の席を立ち、案内板を頼りに入ったトイレの個室は誰も使っていなかった。 狭い空間に身を滑らせ、衣服を纏ったまま便座に腰掛ける。ふう、と大きな息が漏れた。 叶わない恋を、ずっとしていた。 そのことは住吉も同様だった。 妻のいる人間に恋をしている住吉は自分と同じ感情を抱いていただろう。だから、再び───今度こそ、自分の元へと引き込み、高坂に抱いている感情を少しずつでも自分の元へと傾けさせたかった。 本当は、高坂を住吉の元から遠ざけてしまいたかったのだ。 あの日住吉を探して通りがかった物置の中の光景を見た瞬間、何かを考える間もなくスマートフォンのカメラの機能を立ち上げ、シャッターを切っていた。 住吉を抱き締める高坂が憎らしくて、住吉が可哀想で、二人を引き離してしまいたかった。 結果など考えていない。 ただ、谷地にとっては最良の結果が転がり込んできた。 あとは傷心の住吉を慰め、付け込んでしまっても良いだろうとすら考えていた。 「…あんな落ち込むとか思わないし」 個室の中で1人呟く。 高坂が社内から居なくなった後、住吉は明らかに落ち込んでいた。 周囲にいる「ただの同僚たち」にはその変化は伝わらない。住吉は普段から社内ではあまり表情や感情の起伏が豊かな方ではないのだ。 だからこそ自分だけが気付いていた。 自分だけが気付き、慰められるのだという自負もあった。 だが、さっき初めて隣に座って気が付いた。 纏う空気がこれまでに無い、谷地が知らない硬い、張り詰めた空気を帯びていた。 正直なところ、住吉があんなにも落ち込むとは思わなかった。 自分は、高坂に負けたのではない。 住吉の、高坂に対する思いに怖気付き、負けたのだと思う。 「あーあ、」 幕引きを住吉の手に委ねたことに住吉は気が付いていただろうか。 住吉を高坂から引き離せず、抱えた情を自分へと向けられもしないのであれば、住吉の手で終わらせてほしかった。 住吉が真面目な目で口にした一言は、自分のワガママを叶えたものだとは住吉はいつか気が付くだろうか。 「好きだったなあ、ずっと」 随分長く、隠れ蓑を纏って恋をしていた気がする。 相対して、自分の思いを素直に告げられなかったこともまた敗因だ。 お前が嫌いだよ。その一言が欲しかったのだとようやく気が付いたのは最後の最後だ。 好きになってくれないのなら、向こうから自分を突き放してほしかった。 酷いことをした。 住吉を傷付けた。 そうでもして叶えたかった願いは果たして叶えられた。 喜びに浸る権利も、泣いて感傷に甘える権利もない。 それでも谷地は軽く鼻を啜りながらスマートフォンを取り出す。 曇る視界の中で画面を操作し、画像フォルダにある写真を数枚と、アドレス帳の中の1件を順に削除していった。

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