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第73話

左遷になった人間が元々所属していた部署に行かなければならない時にはどんな顔をしていくべきなのだろうか。 説明会の数日前から考えていたが答えは導き出せなかった。 恥ずかしいとは思っていないが、罪悪感が無い訳では無い。後悔はしていないが、居直っていると思われることも本意ではない。 ある程度歳を重ね、会社勤めの人間として経験を重ねていてもなお難しいことはあるものだなと高坂は他人事のように思っている。 大切な説明会の日に、慣れない道を車で走ることを避けて電車を使ったが、運が悪いことに朝から遅延トラブルがあったらしく、本社に着く時間を逆算して乗った電車に遅れが出ていた。 取り急ぎ本社に遅れる旨の電話を入れた後に、会議場にはこっそり入って隅に座ろうと算段を立てる。どんな顔をするべきなのかはわからないが、過度に目立つ必要もない。 ようやく到着した本社は当然の事ながら、大きな変化は見られなかった。 この場所に通勤し、この中で働いていたのはたった半年前の事だが、随分と昔のことのように思える。 社屋に入ると、行き交う社員の中で高坂の顔を知っている人間と時折すれ違うことがあった。中には少し驚いたような顔をしている人間がいたが、穏やかににこりと笑いかける高坂に、どこか安堵したような、また驚いた目をして曖昧な愛想笑いを返された。 大会議室のドアは閉まっている。足音を潜めると、中から微かに声が聞こえてきた。話し声ではない辺り、議題の説明をしている最中なのだろう。そっとドアを開けて、端の列に空いている席を探す。幸い車座ではなく、座席は一方向をのぞむ形で設えられていた。 部屋の前方にある大きなモニターの画面が見やすいように照明を落とした部屋の端を身を縮めるように歩く高坂を気に留める人間はほとんどいなかった。一見したところ、皆きちんと会議に集中している。後列から数えて5番目の長机の隅が空いていた。出来るだけ音を立てないように座り、机の上に必要な物を広げる。そうしながらも登壇している人間の声に耳を傾けた刹那、高坂の胸がどくんと音を立てて鳴る気配がした。 画面の前の男性社員は真剣に手元のパソコンでパワーポイントを操り、淡々とした声と口調で新商品の説明を続けている。 ああこれは自分がよく知っている商品だ。 説明会に参加するにあたって渡された書類の中にあったその字を指でなぞったことを思い出す。 顔を上げる高坂に、説明役の青年は気付いていないようだった。 眩しげに目を細め、ふと2人がけの机の隣を見やると、席は空いているものの、先程まで誰かが座っていた形跡としての書類や筆記用具が置かれていた。 まさか。 そんな偶然は無いだろう。内心で苦笑いしながらも、早鐘を打ち始める鼓動を感じている。真剣に説明を聴きながらも、声の主を思うと内容が素通りしていこうとする。 やがて新商品の説明が終わった。 すぐさま次の議題に映る会議室の空気がほんの一瞬だけ解けた。その中を縫うように、今まで壇上に立っていた社員が高坂が座る場所へと歩み寄ってくる。 勇姿とも言えるその姿を見たいと思ったが、高坂は顔が上げられない。 どんな顔をするべきなのか。 そんな風に思っていたのは、その他関係の切れた人間達に向けてのものではない。 自分は、どんな顔をして会えばいいのか。 答えは、見つかっていないのだ。 青年が机の側で足を止める。 席を立つ時には空いていた隣の席に座る人間がいることに気が付いたのか、訝しげに眉を寄せつつ椅子を引き、腰を降ろした。ふう、と無意識のような息を吐き出した青年が、ちらりと隣の席を見遣り、大きく目を見開くのが、わかった。 「───…、」 「…お疲れ様、…です、」 意を決して顔を上げた高坂に声を掛けられた住吉が声も無く驚く。潜めた、ごくぎごちない声を受けて呆けた色に変わる目の下の頬が、じんわりと紅潮する様子が高坂に伝わってきた。

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