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第76話

今もまだ現実感が薄い。 実に半年ぶりに高坂と肌を合わせ、互いに衝動と欲望のままに身体を貪り尽くしたというのに、住吉はどこかふわふわと浮遊感すら覚えるような心地でいる。 任されたプロジェクトは大詰めを迎えていた。 来月には住吉がプロジェクトの一員として加わっていた商品が市場に出回る。今日はそれに際しての他部門への説明の場でもあった。 ほとんど最後の仕上げのような思いで会議の壇上に立ち、仕事を終えた後には珍しく達成感に満ちた気持ちで自分の席へと向かった。 会議が始まる前に何気なく選んだ席の隣は空いていた。だが、後から入ってきたのか、その空席を埋める人間がいることに気が付いた。 それが誰であるかも気にとめようともせず、歩み寄った瞬間、息も、時間も止まるような思いがした───。 狭いベッドの上、布の中で高坂の体が身動ぐ。 その度に住吉は反射的に、高坂を抱く手に力を込める。 あの会議室で再会を果たしてから数時間が経っている。 もっと言うのなら、今朝自宅で起きた時も、会議が始まる前も、こんな時間が訪れるとは夢にも思わなかった。 抱き締めた高坂の髪の中に鼻先を埋める。 これは現実なのだ、と実感すると同時に、胸の奥から湧く焦燥感が高坂の身体を離したくないと腕に力を注ぐ。 離してしまえば、また会えなくなるような不安ばかりが頭を過ぎる。叶うことならば、こうしてずっと高坂と繋がっていられたら良いのに。そればかりを思って夢中で抱いた身体はすっぽりと腕の中に収まっていた。 「……今日は、泊まりですか」 「…ん、」 高坂の声に微かに眠気が漂っていた。旅というには大げさな距離と時間だ。だが、久方振りに本社にやってきた事と、激しい性交は疲労を生むには十分だろう。寝かせてやらなければと思うも、我儘がそうはさせてくれない。 「…なら、…単身赴任、とかじゃないんですね。…家族で、引っ越したんですか」 俺のせいで。 一つ言葉を飲み込んだ。 こうして高坂と抱き合って眠ることに違和感があるのは、高坂はいつも自分と寝た後には自分を置いて部屋を出ていたからだ。こうして高坂と寄り添って眠るようなことはあっただろうか。その理由を思い出しては、遅い問いを投げる。声音はいつものように淡々とした風を装ったが、住吉の瞳は寂しげに揺れた。 「どっちでもないよ」 「……?」 「別れたから」 高坂の体温と、二人を包む布の温かさによって住吉にも忍び寄ろうとしていた眠気が一気に吹き飛んだ。思わず起き上がり、高坂を見下ろす目が大きく瞠目する。その様子を見上げた高坂が、静かに微笑んだ。 「離婚、したんだ。異動の直前に」 「───俺が、」 俺のせいで。 今度こそ口を付きかけた。 それを遮るように高坂が住吉へと腕を伸ばす。軽く起き上がって住吉の体を抱き締めると、今度は高坂が住吉を抱え込むような体勢で再びベッドへと体を横たえた。 ぎゅ、と力を込めた高坂の腕が住吉の体を抱き寄せる。先程とは逆の、高坂が住吉の髪に鼻を触れさせる形になると互いの表情を伺うことは出来なくなってしまった。 「智洋のせいじゃない」 「けど」 「本当なんだ。智洋のせいじゃない。…今度、ゆっくり話すから」 今度、という希望しか無い文言を与えられているにも関わらず、住吉の胸中が穏やかでいられる筈はなかった。 今の高坂の状況を作ったのは、間違いなく自分だろう。 異動の直接の原因に当たるあの写真を撮り、衆人環視の元に貼り出したのは自分ではない。 だが、自分と関係を持つことがなければ───間違いなく、高坂は会社員としても家庭人としても別の道を歩めていたに違いないことは事実だ。 俺のせいで。 ごめんなさい。 自責し、口にすることは本当は容易い。 ただ、それは高坂が欲しい言葉だろうかとも考える。 高坂が今欲しい言葉はなんだろうと考える。 高坂の胸の中で、高坂の呼吸と鼓動の音を聞きながら目を閉じる。髪に触れる指の柔らかさに、それだけの事で泣きたくなる。 今何時だろう、と考えるも上手く行かない。 こうしていられる時間はあとどれくらい残されているのだろう。 「…主任、」 「ん…?」 高坂の一方の手を探り、触れた指に指を絡めて握り込む。 自分が欲しい言葉と、高坂が欲しい言葉とは違うものかもしれない。 そう思うと、この期に及んでまだ一番大切な言葉を口には出来ない。 必死に打ち込んだ仕事を上手く終えることが出来たら言おうと思っていた言葉は、半年前、最後にあの倉庫で抱き合った時にすら口に出来なかった。 そして今それは、今は別の理由で口に出来ないのだと気が付く。 高坂の状況を激変させた自分に、その言葉は口にする資格はあるだろうかと考える。 ずっと───半年前からずっと、一人で考えても答えの出ないことばかりを考えている。 「また…会えますよね」 「会えるよ」 間は、ほとんど開かなかった。 穏やかな高坂の声が鼓膜に染みる。互いに、指先に力を込める。 「絶対にまた会えるよ。大丈夫だよ。智洋」 猶予は残されている。 だがそれは、また先延ばしにすることと同じではいだろうか。 高坂の言葉はこれ以上にない多幸感を与えてくれる。 それでも、いつか、今度、また、などという不確かなものには寄り掛かることは出来ない。 毎日顔を合わせ、毎週のように抱き合っていた時とは違うのだ。 胸が詰まる。高坂も今、同じ気持ちでいてくれるだろうか。 住吉の方からも高坂の体を抱き締めた。安堵するような呼気が髪に触れ、住吉の胸に一際熱いものが込み上げた。

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