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第77話

ホテルの大きな窓から射し込む朝の光の中で、身支度を整える住吉の姿に高坂は目を細める。 少し痩せたかもしれない。幾分か精悍になったと思うのは欲目だろうか。 大仕事は人を成長させるというのは高坂の実感だ。可愛がってきた住吉がきちんと段階を踏みながら成長していく様を嬉しく思うし───出来ることなら、傍で見ていたいと思っていた。 「なんですか」 「なんでもないよ」 にこりと微笑み掛けて高坂もまたネクタイを結び、上着を羽織る。不思議そうな眼差しをした住吉から少し視線を流すと、ベッドの傍にあるデジタル時計の数字が目に入った。 チェックアウトの時間はもう間もなくやってくる。 支社を出る際に、せっかくだから金曜日も休みなよ、と勧められて消化していない有給休暇に充てた。だが、住吉は違うだろう。今日はここから出勤するつもりなのだろうかと思う。 起床したあと、共にいられる時間を惜しむように揃ってシャワーを浴び、洗面台に並んで立った。誰かとこんな朝を過ごすのはいつ以来だろうと思うと同時に、まるで初恋の時のような高揚と幸福を覚えた。 次にいつ会えるのかはわからない。 本社と支社がある距離は車で1時間程度だ。永久に会えなくなるような距離では無い。高坂には、今はもう何の枷もない。会おうと思えばいつでも会える。それでも、狂おしい程の離れがたさと寂しさに襲われる。 昨夜、寝しなに住吉が子供のような口振りで問い掛けた言葉を思い出す。また、会えますよね───。 「…智洋、」 「はい、」 まとめた荷物はベッドの上にある。この部屋でやるべき事は終わった。だから、住吉と2人きりで面と向かって言葉を交わすことが出来る時間を大切に使わなければならない。 決意の元に名を呼ぶと、住吉が顔を上げる。普段通り、少し愛想が悪くて、どこか拗ねたようで、少年のような目をしている。愛しい、思った瞬間に、少し胸が軋む音がした。 「…また、会ってくれる?」 「…え、」 零れた言葉に住吉が片眉を上げる。当たり前だ、と言いたげな目に安堵を覚えつつも、小さく唇を噛んでからまた開いた。 「…智洋は、……もう、人のものじゃ無くなった俺でも、良い、かな…?」 「───…なに、」 住吉の目が大きく見開かれた。呆然と立ち尽くしたかのように見える姿からそっと目を逸らす。彼の驚きの理由はなんだろう、と考える。内心を見透かされた事への驚きだったのなら。想像しただけで、足が竦みそうになった。 次が来る前に言わなければならない事がある。 昨夜気付いて、ずっと胸に秘めていた。 気持ちが無いのなら、次を期待してはいけない。 それは自分にも住吉にも、良い結末を生まない。 それならば、昨夜のことを思い出にして、大切に生きていく方が良いに決まっている───。 「っ、…なに言ってんですか、」 次の刹那、住吉があたかも誰かに背を突かれたようにして高坂へ向かって足を踏み出した。カーペットを踏み、驚いた目をしたまま高坂へと距離を詰め、持ち上げた両手を逡巡に泳がせた後に高坂の腕を掴む。少し背の高い高坂の目が、住吉の瞳にまっすぐに射られた。 「好きです」 「───…」 住吉が浅く息を吸っては吐く。何かを堪えるように眉間に皺を寄せ、自分の言葉を確かめるように続けた。 「好きです。主任が好きです。…っ、」 高坂に触れる指と、声が震えた。住吉の目からぽろぽろと大粒の雫が溢れ落ちる。驚く高坂の胸に、ああこの男はこんな風に泣くのか、という新たな発見が過ぎる。 「好きです、主任、主任が、ずっと好きでした、…っ、まだ、好きで、だから、」 「…うん。智洋、」 子供が泣くように顔を歪め、頬から顎に伝う涙を拭いもせずにただ感情だけを口にする。 飄々としていて、あまり感情を表に出さず、どこか冷めた風に見えていた。 この男の本心は何処に向いているのだろうかと考えていた。 自分の身体を奪い、弄び、楽しんでいた頃から、この男はいつの間にかこの場所に辿り着いていたのだろうか。 堰を切ったように、という表現しか見当たらない。 溜め込んでいたものを全て吐き出してしまおうかとするように住吉は訴える。 この男のこの形の想いが、自分に向いているなど有り得ないとすら思っていた。 この男の──自分がこの男に抱く思いと同じ形の想いは、いつから存在していたのだろう。 「人の、もの、とか…、そういうのじゃ、なくてっ、そんなこと関係なくて、ずっと、会いたくて、俺、…っ、だか、そんな風に、言わないで、」 「…うん、」 必死な瞳は初めて見る。 これがこの男の素の姿であるのなら、素の姿を自分にさらけ出しているのなら、これ以上の幸せはあるだろうか。 涙を拭うように頬に触れる。ひく、としゃくり上げながらも視線は逸れない。縋る目が愛しいと思うと共に、自分はこの目が欲しかったのだろうかと思わぬ欲を垣間見る。それでも、もう一方の手で住吉の背き触れ、胸へと抱き寄せた。 「主任、」 「俺もね、ずっと好きだったよ」 慰めを受けた子供のように鼻を啜る気配がある。背に、両腕が回された。きつく抱き返されてまた高坂が頬を緩める。髪に触れて撫でる。自分は、ずっとこうして住吉の髪を撫でてやりたかった。 「智洋が好きだよ。今も好きだよ。智洋、」 胸の中の男が声を殺して肩を震わせている。 ようやく言えた。 そんな思いは、今住吉も抱いてくれているだろうかと考える。 好きです。 ぽつ、と呟くような言葉が首元近くに吸い込まれていく。 胸に熱いものが込み上げてくる。住吉に悟られないように鼻を啜る。視界の端に映る時計が示す時刻が恨めしい。これからの長い一日を、この多幸感と共にどうやって過ごせば良いのだろうか。 きゅ、と住吉を抱く腕に力を入れた。昨夜ベッドの中でしたように鼻先を髪に埋め、そっと囁きかける。 「…ねえ。…俺、今日有給取ってあるんだけどな、」 「……どこでそんな誘い方覚えたんですか」 腕の中、顔を上げずに住吉が呟く。皆まで言わないうちに、住吉がぎゅっと体を密着させてきた。 「…休みます。俺も」 真面目な声が消え入るように呟く。この後、自分はホテルに延泊が可能であるかの伺いを入れ、住吉は会社に連絡を入れる。 なんという堕落だ。思っては小さく苦笑しつつも、住吉の額にそっと唇を押し当てた。

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