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第3話

 大きな黒い傘をばさっと開くとソウタは明るく笑った。 「南口だったら俺と同じだ。じゃ教えてください」  男二人で同じ傘。千尋は少し俯いて家までの経路を簡単に教えた。 「へぇ! 駅から近いんですね。俺はそこから十分くらいは歩くかなぁ」  人懐っこく明るいその性格は千尋にはとても羨ましく思えた。自分は蒼大に会う前から極端に人見知りでそれは今でも変わっていない。 「ところでどこかで会ったことありますか? 俺の名前知ってたから」 「……あの、違うんです。……同じ名前の人が、……あなたにとても似ていて」 「そうなんですか?」 「……後ろ姿が」  ぐっと肩を抱かれて思わず声を上げてしまう。 「濡れますよ。もっとこっちに寄って」 「……はい」 「俺は井上颯太って言います。立つに風って書く颯で」 「……そうですか」  よく話す子だな、と思いながら顔を上げる。全然似ていない。こんなに爽やかな感じではなかったし年下でもなかった。蒼大は大人で、十年上で、落ち着いていて……。 「あなたの名前は?」 「え……」 「あなたの名前」  たった一度会っただけの人間に立ち入り過ぎかと思う。けれど助けてもらった身だ。小さな声で答えた。 「桜木、千尋、です」 「綺麗な名前ですね。千尋さんていくつですか?」 「……二十八」 「俺より三つ上かぁ。でも若くて綺麗だ」  綺麗。蒼大にもそう言われた。こんな暗い性格でコミュニケーションもうまく取れない自分を愛してくれた。足元を見つめる。ところどころに雨が溜まってそれをうまくよけながら歩く。雨は嫌いだ。 「ここですか?」 「はい」  比較的新しいアパートの三階に千尋は住んでいる。ワンルームだがそれでも今は広く感じる。 「ところで明日は何をするんですか?」 「え……?」  傘の中で顔が近い。早く離れたいのに颯太はなかなかそれを許してくれない。 「特に、なにも……」 「じゃ明日、俺と一緒に映画観ません? 一人じゃつまんなくって」  断りたかったが、よくよく考えると明日の天気予報は雨だ。一人でずっと部屋にいるのは辛い。千尋は思わず答えていた。 「いいですよ」 「やったあ! じゃ千尋さんち来てもいいですか? 俺がDVD借りてきますから」 「はい」  嬉しそうな颯太の顔を見ているとなんだかほっとしている自分がいる。うっとうしい雨が少しだけ緩んだような気がする。部屋の番号を教えて颯太を見送る。颯太は千尋が見えなくなるまで後ろを振り返り手を振っている。  梅雨の時期になって千尋は初めて笑えた。

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