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第2話 にーちゃんに会った日

 そうして色々有って、何年かが経過したわけで。  今、おれは十八歳になって。一人暮らししてるにーちゃんの部屋のチャイムを、延々と鳴らし続けてる。  母さんにもらった宅配便の伝票には、ここの住所が書いてあった。実家からは遠く離れた都市の郊外、少し寂れた町の一角、ちょっと古めの二階建てアパートに、にーちゃんは一人で住んでいた。にーちゃんの部屋は、二階の一番奥で、部屋の外には表札も無いし、何も置かれてなくて、本当に住んでるのか不安になるくらいだ。  ピンポンピンポン、としつこく鳴らしてるけど、にーちゃんは出て来ない。そもそも居るのかも判らない。にーちゃんが今何をしてて、どういう暮らしをしているのか、全然知らない。だから仕事とかしてて、外に居ても仕方ない。  十一月に入ったばかりの外は、夕方なのもあって少し寒い。薄手のジャケットを着ては来たけど、下はジーンズにスニーカーだし、なにより手がかじかむ。手袋買って来たら良かったなあ、と手元のスーツケースを引き寄せて思う。諦めるか、だとしたらどうするか、ここでにーちゃんが帰って来るのを待つか、どうするかなあ……と考えていると、急にドアが勢いよく開いた。ビックリして玄関を見ると、そこにはだいぶ変わったにーちゃんが、目を丸くして立っていた。  最後に会った時のにーちゃんは、同じぐらいの身長だったけど、今はおれのほうがでっかい。細いのも優しい顔してるのも変わってないけど、少し伸ばした髪を茶色に染めてた。なんか大人しくて穏やかなにーちゃんらしくないけど、サラサラしてて綺麗なのは相変わらずだ。でも服は昔と違って上下黒のジャージだった。昔は部屋着もきちっとしてたのにな。  とりあえず「にーちゃん、久しぶり」と呼んでみると、「アキト……?」と少し低くなった声で名前を呼んでくれた。 「来ちゃった」 「き、来ちゃった、じゃない、アキト、お前どうしてここに、いや、その髪、な、なに、どうして……」  にーちゃんはすごく混乱しているみたいだったから、おれはゆっくり、笑顔を浮かべて、丁寧に説明した。 「あのね、にーちゃん。おれ、今年で高校卒業なの。だからね、ちょっと髪を伸ばして、パーマかけちゃいました。似合う?」  肩まで伸びた髪をストレートにしちゃったもんだから、にーちゃんは驚いてるみたいだった。何度も瞬きしてから、「あ、ああ……卒業おめでとう……」と気の抜けた声で言い、それからハッとなって「いや、そうじゃない」と独り言みたいに呟く。 「なら大学か専門学校か、就職か……だろ、髪伸ばしちゃ……受験……とか面接とか……」 「受験はもう終わったよ、合格も決まったんだ。それでね、にーちゃん。俺の行く大学、たまたまこの辺なんだ。髪は入学までに戻すよ、まだ時間有るし、それまでだよ」 「あ、そ、そう、なのか……」 「それでね、にーちゃんちは、母さんが教えてくれたんだよ。ほら、荷物の伝票に住所書いてあったから。だけど、大学は家から通うには遠いでしょ? こっちで暮らす事にしようと思うんだけど、まだ家が見つかってないんだ。だから、……住む所が見つかるまで、にーちゃんの家に居させてくれない?」  笑顔で首を傾げたけど、本当は不安でいっぱいだった。だってにーちゃんには俺を受け入れる理由がない。急に来た俺を入れてくれるかさえ判らない。一人暮らしだから住むには狭いかもしれないし、なにより、三年前にーちゃんは、おれがしてしまった事をきっかけに急に出て行って、しかもそれきり帰って来なかったんだ。  おれが避けられてるのは明白だったし、一言「ダメだ帰れ」って言われて終わりかもしれない。でも嫌な想像はもう飽きるぐらいしてきたから、後はなるようになれでここまで来たんだ。やらないで諦めて、一生にーちゃんに会えないなんて、やだった。たとえにーちゃんに追い返されても嫌われてても、ずっとにーちゃんに会いたいってグズグズして生きるよりきっといい。そっちのほうがいいと思えれば、つまりそれは幸せだ。ちょっと悲しいけど。  でもそんな不安な気持ちは見えないように、笑顔を浮かべていると、「住む所が決まってないって……もし僕が断ったら、どうするつもりなんだ」とにーちゃん。 「その時はお金も無いし、しょーがないから、野宿でもするよ。この辺の公衆トイレとか広そうだし」  本当はちゃんとお金は持って来てるから、これは嘘。だけどにーちゃんは簡単に信じてくれたみたいで、「ばか!」と首を振った。 「寒いのにトイレで野宿なんて、それにな、この辺は実家と違って治安だってそんなに良くないんだ、そんな危ない事させられるか。明日は雨だって予報も出てるし……」  にーちゃんは珍しく、少し怒ってるように言いながら、玄関を開けたまま中に戻ってしまった。それをボンヤリ見ていると、しばらくしてにーちゃんが戻って来る。 「何してるんだ、早く入って、寒いだろ」 「えっ、……にーちゃん、本当に入れてくれるの?」 「大事な弟を放っておけるわけないだろ……ほら早く。……うわ、冷えきってるじゃないか、風呂沸かすからすぐに入るんだぞ」  にーちゃんが動かない俺を部屋に入れようと手を握って、その冷たさにびっくりしたように言う。確かにかじかんでたし、本当は緊張してたし、きっとすごく冷えてたんだろう。久しぶりに触ってくれたにーちゃんの手は、温かかった。 「本当にいいの? にーちゃん」  あんな事したのに、あんな別れ方したのに。正直入れてくれると思ってなかったし、今でも「大事な弟」なんて言ってくれると思ってなかったし、おれは少しドキドキしてた。だって三年も連絡取らないぐらいだもん、てっきり嫌われてるんだと思った。だけどにーちゃんは「いいっていってるだろ」と怪訝な顔をして手を引っ張る。 「住む所が見つかるまでだぞ」  と念を押しながら。

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