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第3話 にーちゃんの部屋

 ガタゴト、という物音が聞こえて目が覚めた。まだ眠かったから布団の中でもぞもぞしたけど、ふと見たらにーちゃんが冷蔵庫を開けてるのが見えたから、それでドキッとして目が覚めてしまった。  そうかあ、昨日の事は夢じゃなかったんだ。周りを改めて見る。ここは、にーちゃんが一人暮らししてる部屋だ。2LDKっていう、一人暮らしにしては広い部屋だった。靴の少ない玄関を入ると、すぐ左がキッチンで、リビングと繋がっている。リビングには黒いテーブルと同じ色調のソファが置かれていて、それがベッドにもなるやつだって言うから、昨夜おれはその上で寝た。キッチンの向かいにはトイレとバスルームが有って、その隣に扉が有る。そこがにーちゃんの寝室らしかった。けど、入れてはもらえなかった。その隣にもう一部屋有るけど、そこは実質物置になっているらしい。  リビングは小ざっぱりしてる。私物が無い、っていうか。テーブルの上には何も無いし、一応テレビ台の上にはテレビが置かれてる。けどにーちゃんは別にテレビをつけたりはしなかった。だからにーちゃんは、普段は寝室で生活してるんだろうなあとは思う。  にーちゃんはガサゴソと冷蔵庫を漁ってる。妙に眠いから壁かけの時計を見ると、朝の六時だった。 「にーちゃん、早いんだね」  と布団に入ったまま言うと、にーちゃんはビクッとしてから振り返った。 「……悪い、起こしたか」 「ん、大丈夫……にーちゃん、朝ご飯?」 「いや、ぼくはいらないけど、アキトのをどうしようかと思って」  その言葉でまたドキッとする。にーちゃんがおれの為に朝食を作ろうとしてる。それが嬉しくてたまらない。ガバッと飛び起きて、「何作るの?」と目を輝かせたけど、「いやそれが」とにーちゃんは浮かない顔をした。 「ロクな物が無くて、どうにもマトモな物は作れそうになくて……グラノーラにミルクかけて食べてくれるか? 昼前には食材が届くと思うから、昼はそれでなんとかしてくれ、夕飯は帰ってからでも作れるから……」  よく見たらにーちゃんは既に身支度を終えて、黒いコートにジーンズで、今にも家を出そうだった。「お仕事?」と尋ねると、「ああ」とにーちゃんは頷いた。 「夕方六時には帰って来る。……ああ、いや、もう少し遅くなるかな。とにかく、今日のところは留守番頼むな。来ると判ってればシフトの調整も出来たんだけど……」 「休んで一緒に居てくれた?」 「そうだな、住む家を探すのも手伝えたんだけど。明後日は休みだからその時にしよう」  少しがっかりした。やっぱりここに居座り続ける事はムリみたいだ。それでも、仕方ないとは思う。今こうして部屋に入れてもらえるだけでも、ありがたい話で。  にーちゃんは本当に優しいと思う。追い返しもしないし、疑いもしないし、部屋を預けて仕事に行くんだから、きっと信用はされてるんだ。そう考えると、色々と申し訳ない気持ちもわいてくる。 「にーちゃん、気を付けてね」  思わずそう声をかけると、にーちゃんは少ししてから、「うん」と頷いた。その後に何か言おうとしてたみたいだけど、そのまま「行って来る」って言って靴を履き始める。 「……あ、お隣の七瀬さんが、昼前に荷物を届けに来るんだ。でもそれ以外の時は、無暗に玄関開いちゃダメだぞ。この辺は宗教勧誘とか新聞屋とか押し売りとか来るから……あと、オカマが来ても開いちゃダメ、後がうるさいから……」 「??? う、うん」  オカマも来るのかな、逆に気になる……と思ったけど頷いた。「いい子にしてるんだよ」とにーちゃんは言い残して、さっさと出て行ってしまった。パタン、と玄関が閉まり、ガチャガチャと鍵がかけられると、足音が遠くへ行って、それで部屋はしんと静まり返った。  一人暮らしって寂しいんだな、ってちょっと思った。色々考えたかったけど、とりあえずまだ眠い。布団にまた潜って、二度寝する事にした。  もう一度目が覚めた時にはもう一〇時になってた。流石にそろそろ起きよう、と思って、ふあーと大きく伸びをして布団を出る。頭がボンヤリしてたけど、テレビをつけてみた。ワイドショーをやってる。芸能人の恋愛話で大盛り上がりしてるけど、あんまり興味は湧かない。自分の恋愛で手いっぱいなのに、人の心配までしてられない。  それでも今の状況は大きな進歩だ。ごそごそとコンセントの側に行き、充電してたスマホを手にとって、友達にSNSでメッセージを送る。 「にーちゃんの部屋にお泊り大成功!」  するとしばらくして、悪友二人から返事がきた。『マジで行っちゃったの!? アキトってば心臓に毛とか生えてんの?』『そうか、良かったな』とか。  おれ達は高校時代の学友であり悪友、っていうやつで。よく三人でつるんでた。喧嘩もするし、言い合いもするけど、馬が合う三人だと思ってる。今回の計画も話してあった。 『押しかけて、お兄さんは嫌な顔しなかったか?』 「うん、嫌な顔はしなかったな、困ってはいたけど、ちゃんと部屋に入れて泊めてくれたんだ。住む所が決まるまで居ていいって!」 『アキトやったじゃーん! それでそのまま居候しちゃえば、お兄さんとは一緒に居れるし、家賃いらないし最高じゃん?』 「いや、住む所が決まるまで、って言ってるし、そのうちどこか探して出るよ」 『えー? なんで? ずっとにーちゃんと暮らしたいって言ってたじゃん。そのまま居ればいいのに』 『アキトのそういうところは本当に面白いな。強引なのか控え目なのか判らない』 「だって、にーちゃんに嫌われたくはないし……」  にーちゃんがずっと居てほしくないと思うなら、出て行ってあげた方がいい。そんな事を考えてると、少しして返信。 『お前は本当に心配になるほどのブラコンだけど、それでいて自分を何処か信じてないというか、引け目に感じてるんだな。前に何か有ったのか?』  何か有ったか、と言われたら、有った。それもちょっと言いにくい事が。素直に言うか言わないか悩んでると、今度はもう片方が返信してきた。 『部屋に泊めてくれるお兄さんなら、アキトの事、気に入ってるに決まってるじゃん? うちのアニキなんか全然優しくないし、オレが泊めてくれって言っても、追い返されるか、一晩だけって条件付きじゃないかなー。だって逆の立場でもやだもん! 部屋とか覗かれそうだし、エロ本とか見つけられたらヤだし!』  恥ずかしそうな顔をしたスタンプが表示される。それを見て、ハッとした。 「そうじゃん、今ならにーちゃんの寝室が覗けるんじゃん!」 『おい、さっき控え目なのか判らないって言った俺の発言をどうしてくれる。止めておけ、そんな不躾な事』 『お兄さんはエロ本何処に隠す派かな? ベッド下?』 『そんな単純な隠し方するのはお前だろ』 『えっ!!!! なんで知ってんの!? 俺の部屋覗いたの!?』 『……本当にベッド下なのか……』 『えっ!?』  「えっ!?」って感じのスタンプがどんどん表示されるのを横目で見ながら、にーちゃんの寝室の扉に、恐る恐る手をかける。覗いたのバレたら嫌われるかな、大丈夫、何も触らないようにして、見るだけだから、中に入らないでチラッと見るぐらいなら……と思いながら、ドアノブを回そうとして。  ノブが回らない事に気付いて、慌ててドアをよく見ると、寝室の扉には鍵穴が付いてた。 「ちょ、にーちゃんの部屋、鍵ついてんだけど! 開かないし!」 『え!? なんで一人暮らしなのに寝室に鍵とかつけてんの!?』 『それもそうだが、しっかり鍵をかけて出かけられてるあたり、信用されてないんだな、アキト……』 「ええーっ、ショックなんだけど……おれやっぱりにーちゃんに好かれてないのかな……」  さっきまでドキドキしてたのに、すっかり落ち込んでしまった。 『お前は浮き沈みが激しいな。好きとか好きじゃないとか以前に、一人暮らしなのに鍵が付いてるほうがおかしいだろう。理由に心当たりは無いのか?』 「何にも無いよ、前に言ったろ? 一五の時から会ってないんだ。久しぶりに会ったけど、にーちゃん見た目以外はそんなに変わって……あっ」  にーちゃん、タバコを吸うようになってる! キッチンにこっそり置かれた灰皿と吸いがらにびっくりした。最後に見たにーちゃんは煙草なんて吸わなかった。 『それはアレだわー、恋人の影響を受けたって奴だわー』 『適当な事言うんじゃない。……まあ、でも三年もあれば人付き合いも変わるし、色々有るだろう。お兄さんにも何か有ったのかもしれないな……』 『恋人が出来たんだよ、恋人!』 「うっさい!」  にーちゃんに恋人が居るなんて、知りたくない。いや、考えては居たんだよ、三年も経ってるんだ。言われなくたって、色々有ったんだろう事は判ってる。でもやっぱりやだ。

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