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第4話 にーちゃんとお隣さん

 しょぼくれてると、部屋のチャイムが鳴った。ビックリしてスマホをズボンのポケットに突っ込んで、玄関に行く。そう言えば昼前にお隣さんが来るって言ってたなあ、と覗き穴を見てみると、なにやらヨレヨレのジーンズシャツを羽織ってグラサンの、胡散臭そうな男が立っている。無精ひげも生えてるし、体格は立派で、茶髪は少し長い。ついでに煙草を咥えていた。  とてつもなく怪しい。けど、留守番を頼まれているし、お隣の、確か七瀬さんだったら、入れなきゃいけない。はい、とインターホンに出ると、彼は少し驚いたように言った。 『あれ、この時間に居るの? リクじゃないよな、お客さんか?』  リク、とにーちゃんの名前を呼んだのが、すごく気になる。こいつも煙草吸ってるし。そんなところです、と答えると、『珍しいな、リクが人を入れてるなんて』と彼は笑った。 『あ、俺は隣に住んでる七瀬っていってよ。リクに食材とかの買い出しを頼まれててな。運び入れてもいいか?』  七瀬さんだ。こんなのが隣に住んでて、部屋に出入りしてるのか……と思うとなんだか複雑だった。それでも、留守番を頼まれているし、食材を受け取るように言われてるし、「はい」と答えて玄関を開けようとした。ところが、扉は開いてしまった。  つまり、七瀬さんは合鍵を持っているのだ。  どうして、と思うと同時に、なんとなくにーちゃんの部屋にカギがかかってる理由が判った。たぶん、こうして七瀬さんが家に入って来るからだ。でもお隣同士だからって、今時合鍵渡してまで仲良くしたりするんだろうか。あんまりそんな話聞かないけど……もしかして、何か特別な関係なんじゃ……。  そんな事を考えてる間に、七瀬さんが荷物を抱えて入って来る。ティッシュペーパーとか新聞の束とか、それにビニール袋二つ分の食材をキッチンに運んで、「ちょっと片付けさせてくれなー」と言いながら、どんどん冷蔵庫に入れて行く。牛乳、卵、ベーコン、食パン、レタス、キャベツ……。  よく見ると、肉類は白色トレイの大きさの割に、中身がスカスカで、変だなと思って見ていると、七瀬さんはそんなおれの視線に気づいたらしくて、「ああ」と笑った。 「いや一人暮らしだと、食材はそんなにいらないけど、少量売りは高くてさ。多めに買っておいて、分け合ってんだ。その方がお互い助かるってね」  食材を分け合うする、合鍵を持った隣人。ますます妙だ。眉を寄せていると、片づけを終えた七瀬さんが、おれの顔をまじまじと見る。 「君、随分若そうだなあ」 「はぁ、まぁ……」 「……んー? どっかで見たような……」  七瀬さんはしばらく見つめて来て、なんとなく居心地が悪くて目を反らしていると、七瀬さんが「あっ」と手を叩いて言った。 「お前さん、あれだ。リクの弟の……そう、アキト君だ! そうだろ?」  なんで判ったんだろうと、思っていると、「前に写真見せてもらったんだ、随分大きくなってるけど、面影は残ってるし、それにその髪、実際見ると確かに、すごい綺麗だなあ、ストレートにしたのか?」と七瀬さん。  確かに昔はよく写真を撮った。にーちゃんはそれをここに持って来てて、彼に見せたらしい。おれの名前まで覚えてるぐらいだから、色々説明したんじゃないかな。かなり親しい感じがして、恐る恐る尋ねた。 「あの……兄とは、どういう関係なんですか……?」 「ん? んー……」  七瀬さんは少し考えて、それからおれの顔を見て、ニヤッと笑った。 「恋人、とか?」  背筋が冷たくなった。一番聞きたくない言葉だった。変な汗まで出てきて、「なーんてね」って七瀬さんが言っても、しばらく動揺が収まらなかった。 「僕と七瀬さんが恋人?」  にーちゃんが帰宅して、すぐになりふり構わずに尋ねても、にーちゃんは溜息を吐くだけだった。 「そんなわけないだろ、七瀬さんにからかわれたんだよ。そんな事は今までもないし、これからもない」 「じゃあ、なんであんなウソついたの。それに合鍵なんて……」 「近所付き合いは、困った時はお互いさまなんだよ」  にーちゃんはコートを脱ぎながらそれだけ言う。「でも」と食い下がろうとしたけど、やめておいた。にーちゃんは話を切りあげたがってるし、モヤモヤしてるけど、あんまり引きずらないほうがいい気がした。その代わり、「夕飯作っておいたよ」と言ってみた。  にーちゃんは一瞬止まって、それから「怪我はないか?」っておれの手を急に掴んだ。それにちょっとドキッとしながら、「子供じゃないんだから」と答えたけど、にーちゃんは心配そうに手をまじまじ見てた。しばらくして、ハッと手を離して、今度はキッチンに行った。料理の出来栄えが気になるらしい。  こんな事もあろうかと、実家で料理の修業はしてきた。だから簡単なものなら作れる。七瀬さんが買って来てた物を合わせて、ささっと豚肉の野菜炒めを作った。炊飯器でご飯も炊いておいたし、サラダに、味噌汁だって有る。自信満々でにーちゃんを見たけど、にーちゃんのほうは少し不安げに料理を見てた。 「にーちゃん、これでもおれ、料理の練習はしてきたんだよ」 「そ、そう、か……」 「だからにーちゃんに食べてもらおうと思って、作っておきました! 仕事終わってからご飯作るの、大変だもんね」  明るく言っても、にーちゃんは「そうか……」とあまり嬉しそうじゃなかった。どうしたんだろう、と思っても、にーちゃんは黙ったままで、少しして、「じゃあ温かいうちに食べよう、少し着替えて来る」って寝室に行った。入って即座にカギをかけた。やっぱり入られたくないみたいだ。でも、鶴の恩返しだって青髭だって、入っちゃいけない部屋が有ったから、覗きたくなっちゃうんじゃないか。まさかにーちゃんがツルだったり、恋人の死体を隠してるとは思わないけど、気になるものは気になるんだ。でも、逆にそうまで隠してる物を、無暗に追求したら嫌われる気もして、結局おれはどうにも出来ない。しかたなく、リビングのテーブルに料理を運んでみる。  そのうちにーちゃんが部屋から出てくる。しっかり寝室には鍵をかけて。黒いジャージに身を包んだにーちゃんは、随分小さく、細く見えた。元々小柄なのもあるけど、痩せている気がする。ちゃんと食べてるのかなあ。住ませてもらってる間だけでも、家事をしてあげて、しっかり食べて休んでもらわなきゃ、と思った。  にーちゃんはテレビの電源を入れたけど、見るのはニュースだった。天気予報とか、今日の出来事とかを見ながら、一緒にテーブルにつく。二人で頂きますをして、にーちゃんが食べるのを見守る。にーちゃんは少し迷ってから、野菜炒めに箸を伸ばした。はむ、とひと口食べて、じっくり噛んで、それから「旨い」と一言だけもらして、そのままもくもくと食べ始めた。どうやら気に入ってもらえたみたいだ。おれもお腹が減ってたし、食べ始める。  にーちゃんは全部「旨い」って言いながら食べた。そして味噌汁を飲んで、少し黙った。 「アキトの母さんの味がするな」  にーちゃんはそう言って、おれを見て微笑んだ。にーちゃんは、母さんの前では「母さん」って呼ぶのに、おれの前では「アキトの母さん」って言う。それも変わってない。 「母さんに、教えてもらったから」 「そうか、そうだな……あの人は料理が上手いから……小さいと思ってたお前も、料理出来るようになるんだな……」 「もう三年も経つんだもん。……母さんも父さんも、にーちゃんの事、心配してたよ」 「そうか……」  にーちゃんはただそう返事をして、それ以上何も言わなかった。でも美味しそうに食べてくれてたから、「ここに居る間は、ご飯作るよ」と言ってみる。にーちゃんは困ったような顔をした。にーちゃんはいつの頃からか、時々こんな表情をするようになった。何か言いたい事があるのかもしれないけど、色々考えて飲みこんでるみたいな。 「……無理は、するなよ」 「無理なんか。お世話になる御礼だし!」 「……そうか……」  にーちゃんはまたそんな返事をして、それからそっと、テーブルに何か置いた。見たら、それは鍵だった。 「家の合鍵。無いと不便だろ」  にーちゃんはそっけなく言ったけど、それはちょっと嬉しい事だった。にーちゃんはおれの為に合鍵を用意してた、だから帰りが遅くなったんだ。それに鍵を渡したという事は、しばらくの間はここに自由に出入りしていいという事で、居てもいいって事だ。 「にーちゃん!」  おれは目を輝かせて言ったけど、「その代わり」とにーちゃんは少し声を低めて言った。 「絶対に”あの時”みたいな事はするな。それが、ここに居る条件。……いいな?」  そう言われて、う、と言葉を呑んだ。「いいな?」と念を押されると、「判った」としか言えなかった。  そうなんだ。それが全部の原因なんだ。  ”あの時”、おれは事実上、にーちゃんを襲ってしまった。

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