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第6話 にーちゃんの今のこと
そんな事が有ったから、にーちゃんはおれの事が嫌いになったんだって、ずっと思ってた。
だけどあんな事が有ったのに、家に入れてくれて、寝泊まりさせてくれるにーちゃんは、いい人だ。やっぱり最高で、大好きなにーちゃんだ。なのにそういう目で見るのは変わってない。
おれは溜息を吐いて、賃貸情報誌を見るのを止めて、顔を上げた。
にーちゃんの家から少し離れた、小さな公園のベンチに腰かけて、おれは途方に暮れていた。にーちゃんに渡された情報誌を見たり、この辺に何が有るのか確認して回ってたけど、徒歩だとあんまり遠くには行けないし、土地勘が無いから電車もバスもどれに乗っていいかも判らない。いや、スマホの力を借りたらどうにかなるんだけど、なんだかそんな気分にならなかった。
公園には遊具がいくつか置いてあって、それに銀杏がたくさん植えてあって、綺麗な黄金色の葉が夕日で赤みを帯びて揺れていた。風に舞い上がる落ち葉が幻想的で、それを眺めながら、にーちゃんに出会った頃を思い出す。
にーちゃんは本当に昔からきれいで、静かだった。にーちゃんはあの時、おれの事を天使みたいだって言ったけど、おれに言わせればにーちゃんのほうがよっぽど天使だった。血の繋がってない弟を、こんなに大事にしてくれて。そんなにーちゃんに邪な気持ちを抱いてるんだから、おれなんか天使どころか、淫魔か何かだと思う。
すっかり世界は夕暮れになって、少し冷えて来た。おれと来たらパーカーにジーンズっていう装備で来てたから、手とか首とかが冷えて、少し縮こまっていた。でもなんとなくまだ家に帰る気分じゃなかった。帰っても一人の家って、案外寂しいんだなって思う。しかも、にーちゃんの家でぼーっとしていると、色んな事を考えてしまう。
にーちゃんにはにーちゃんの気持ちが有って、人生が有って。にーちゃんにも好きな人が居るのかな。三年も有ったら、色々有るよな、彼女は出来たのかな、今はどうなのかな。一緒に心から笑ったりできるような人が、居るのかな。
そんな事をボンヤリ考えてたら、急に後ろから「アキト」って声をかけられて、びっくりした。見たら、背後ににーちゃんが立ってた。紺色のダッフルコートを着て、ポケットに手を突っ込んでるにーちゃんは、小柄なのもあって、ぱっと見、学生みたいだった。
「に、にーちゃん、どうしてここに」
「どうしてって、ここ、職場までの通り道だから。……こんなところで何してるんだ? もうすぐ日が暮れるぞ」
にーちゃんが訝しげな顔をしてる。おれは慌てて情報誌を見せた。
「下見でもしようかなって思ってウロウロしてたんだけど、あんまり場所、判んなくてさ」
「そっか……明日半休だから、一緒に見に行こうか。今日はもう帰ろう、冷えて来たし」
「あ、うん……」
「夕飯、何か作ったのか?」
「うん、カレー」
「カレーか。アキト、カレー好きだもんな」
にーちゃんがクスって笑った。それだけでドキドキする。まだ笑ってくれるんだって思うし、やっぱりにーちゃんは美人だし、セクシーだ。風で髪がサラサラ揺れて、夕日でキラキラ光ってて、見とれてしまう。
「やっぱり日が暮れると冷え込むな……」
「にーちゃん」
「ん?」
「にーちゃん覚えてる? おれ達が出会った時の事」
「あぁ……あの時も、公園が銀杏で綺麗だったなあ」
「おれはなんか、葉っぱ集めててさ」
「寒さも忘れたみたいに、綺麗なのを探して集めてたよなあ。それでくしゃみしてた。風邪ひいたらどうしようって思ったよ。……あ、アキト、寒くないか?」
そう言ってにーちゃんが手に触って来る。にーちゃんの手は、すごく暖かくてびっくりした。
「うわ、冷えてるじゃないか。……手袋かカイロでも持って来たら良かったなあ。早く帰ろう、風邪引く前に」
「うん……」
素直ににーちゃんの横に着いて歩く。にーちゃんは時々おれを見て、距離を気にしてた。子供の頃、おれのほうが足が遅かった名残なのかもしれない。今じゃおれのほうが、ほんの少しだけ早い。おれのほうがでかいから。だから加減して歩いてた。
「にーちゃん」
「何だ?」
「好きな人っているの?」
「はぁ?」
にーちゃんが、怪訝な顔で見て来る。おれも自分で急に何聞いてんだろうって思った。
「いや、なんかおれ、にーちゃんの事、全然知らないから」
「……ならもっと順序立てて、普通の事から聞くもんじゃないか?」
「じゃあ……じゃあ、にーちゃんは何の仕事してるの?」
「書店員だよ、アルバイトだけど」
「にーちゃん、本好きだったっけ」
「嫌いじゃないかな。別に読書家ってわけでもないけど、まあ職場の雰囲気が良いから続けてるぐらいだよ」
「そうなんだ……」
会話はそこで途切れてしまう。困った。にーちゃんの事、いっぱい知りた過ぎて、どこから聞いていいか判らない。あんまり根掘り葉掘りすると、嫌がりそうだし、そんな事気にし始めると、難しくなってきた。
あの時からすっかり臆病になってる。にーちゃんに嫌われてるかも、と思うと怖いんだ。これでもいつも不安になりながら接してる。友達に言わせれば、そんなに不安だったら普通家に押し掛けたりしないらしいけど。
結局大した話は出来ないまま、おれたちは家に戻った。家に入る前に、にーちゃんはポストを開いて、「ん」と紙を取り出す。書いてある内容までは見えなかったけど、ピンクで何かかわいいイラストの描かれたメモ用紙だった。にーちゃんはチラッとみて、そのままポケットへ無造作にしまった。
「……置き手紙?」
「……あ、あぁ、そんなところ」
にーちゃんはあんまり詮索されたくないのか、それだけ答えて家に入ってしまった。かわいいメモ用紙だった。恋人……って少し考える。何回かにーちゃんに電話がかかって来たけど、そそくさ自分の部屋に入って、鍵をかけてひそひそ話してた。よほど聞かれたくないんだと思うし、心を許されてないのかなとも考えて嫌になる。にーちゃんにはにーちゃんのプライバシーが有って当然なのに、それをちょっと寂しく思う、おれが変なんだ。こんな寂しい思いをするなら、一緒に暮さないほうがいいのかもな、ってちょっと思った。
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