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「旺二郎どこへ逃げる。いい機会だから上野と向き合ってみろ。逃げてもなにも変わらないぞ」  みっちーの青い瞳で見つめられると、逃げられなくなる。頂点に立つ者の瞳だからか、ひたすら美しい青い瞳だからなのか。  いい機会かぁ。たしかに、上野四信とちゃんと向き合ったことは一度だってなかった。心をシャットアウトして、上野四信の言葉を右から左で受け流していた。聞いているふりをして、上野四信から逃げていた。上野四信は、いつだってまっこうから俺と向き合ってくれているのに。  上野四信はなにものにも染まらない黒い瞳を俺に向けている。いままで俺はこの人とちゃんと目を合わせたことがあっただろうか。なるべく目が合わないように、シャープな輪郭に視線を寄せたり、意外ときれいに結ばれているネクタイを見たりしていた気がする。 「俺様は先に行く。上野、旺二郎のことをよろしく」 「おー、三千留また学校でな!」  みっちーは俺の肩を叩くと部屋へと戻っていく。後ろ姿があまりにまぶしくて思わず目を細めた。みっちーが歩くとカラオケの廊下がまるでランウェイ。それほどみっちーからは自信とオーラが溢れている。  廊下に残された俺たちの間に沈黙が流れる。  上野四信がうるさくないとか、気持ち悪い。なにかしゃべってくださいよ。あんた、いつだってうるさいじゃないか。 「……なんで黙るんですか」 「旺二郎が黙ってるからだろ」 「……いつもは俺が黙っててもおかまいなしでしゃべるじゃないですか」 「そうだけどよ、いまはなんつーか、お前の気持ちを大事にしてえつーか、寄り添いたいつーか。とにかく旺二郎がなにか言うまで黙っておく」  ほんとはなんやかんやとしゃべりたいくせに。しゃべりたくて体がうずうずしているくせに。俺のために上野四信は頑張って黙っている。黙ることを頑張るってほんと意味わからない人だ。  上野四信が俺のために頑張ってくれているなら、俺も、あと一歩頑張るべきだ。いや、頑張りたい。上野四信のために。  ゆっくり視線を上野四信のネクタイから黒い瞳へ向ける。ああ、強い。この人はほんとに強い人だ。瞳からひしひしと伝わってくる。 「……バスケ部人数多すぎて順番回ってこないなら俺たちの部屋来ますか。なっちゃん、みっちー、いっちゃんいますけど」  いっちゃんはいるかわからないけど、まぁ、多分いる。みっちーいるところ、いっちゃんあり。  なっちゃん、みっちー、そして、いっちゃんこと広尾五喜(ひろおいつき)は幼稚舎から百花に通う幼なじみであり、ハイスペック男子。とくにみっちーは白金財閥の御曹司、いっちゃんは茶道の家元の次男坊という百花の中でもハイパーハイスペック。高校入学組の俺が三人とつるんでいいのかと悩んだこともあるけれど、三人といるとびっくりするほど心地いい。人見知りが激しくて、二秒で人を拒絶するタイプの俺が、三人といるときは素でいられる。  そういえば上野四信は高校入学組なのだろうか。グロスをあっさり落としてくれたり、どことなく庶民らしさを感じるから、高校入学組かもしれない。いままで上野四信を知ろうとしなかったから、俺はこの人をなんにも知らない。

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