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「旺二郎お前いい子すぎかよ」  ニカッと歯を見せて笑い、俺の背中をバシバシ叩く。俺は上野四信のこの一面しか知らない。この一面しか見せてもらっていない。 「さっきの冗談だから! マイクの奪い合いは激しーけどよ、そこは俺も部長だしみんなにうまく回るようやるし。それに俺がいたらお前らが楽しめねーだろ、気持ちだけもらっとく。ついでにラインのID教えてくれてもいいんだからな!」  冗談めかしてウィンクを飛ばす上野四信は俺に「それはちょっと」と言われるのをきっと知っている。断りやすい雰囲気をだしてくれている、ような気がした。だから、しっかり上野四信の瞳を見つめ「それはちょっと」と言ってやる。上野四信はいつもどおりゲラゲラ笑った。「さすがディフェンスに定評のある旺二郎!」ディフェンスに定評あったらもっと上手にJKを交わしましたけどね。心の中でそう呟きながら、自然と口角が上がっていた。 「じゃあそろそろ戻らねーと部員が心配しちまうから行くわ。旺二郎またな!」  上野四信は俺の肩を軽く叩き、扉を開ける。廊下に流れてきたのはタオルを振り回しながら歌うであろう『睡蓮花』。チャラい。やっぱりバスケ部ってチャラい。俺とは違う。だけど、上野四信は、そういうチャラさとはちょっと違うかもしれない。扉が閉まるまで俺に手を振り笑う上野四信を見ていたら、なんとなくそう思った。  自分たちの部屋を外からこっそり覗く。みっちーがなにやら真剣に歌い(きっとワンオク)なっちゃんが動画を撮り、いっちゃんがてきとうにタンバリンを叩いている。ああ、いいな。この三人の空気感、安心する。  ゆっくり扉を開けると、みっちーはやたらといい発音でワンオクを歌い、なっちゃんは「ちるちるー、視線ちょーだい!」と笑い、いっちゃんはタンバリンを叩く手を止めて俺のほうへ向いた。カラオケでタンバリンをやる気なさげに叩くいっちゃんはなんども見ているけれど、やっぱりその手にはタンバリンは似合わない。きっとマラカスはもっと似合わない。似合わないけど様になる。たぶんいっちゃんが本気でタンバリンを叩いたら、美しすぎて女子は死ぬかもしれない。 「旺二郎やっと来たね。四信さんに捕まってたんでしょご愁傷様……そのわりにはいい顔してるね、四信さんとなにかあった? 旺二郎の心の扉をほんの少し開いた感じする」  さすがいっちゃん鋭い。この人にはなにも嘘をつけそうにない。黒縁眼鏡の奥に光る黒い瞳にすべて見抜かれてしまう。 「上野四信は『睡蓮花』を歌うタイプのバスケ部じゃないんだろうなぁって思ったんだ」 「四信さんは『愛唄』を歌いながら後輩の肩に腕回してそうだよね」 「わかる。『USA』を歌わないでひたすら踊ってそう」 「旺二郎、実は四信さんのこと結構好きでしょ」  まぁ、嫌いじゃない、かも。今日からだけどね。昨日までは生理的に受けつけなかったし。生理的って、いっしょう変わらないものだと思っていたから、生理的じゃなかったのかな。そもそも生理的ってなんだろうね。よくわからないや。  うだうだ頭の中で言葉を吐き出しては飲み込む。きっといっちゃんにはバレバレだろうけど。

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