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「イライラしている相手を前にへらへら笑うのはどう考えても逆効果で、七緒は先輩に胸ぐらを掴まれた。最初から七緒は殴られるの覚悟で屋上に向かったらしいけど、顔はいやだなんてぼんやり思っていたらしいよ、七緒らしいよね。その時に救世主が現れた」 「それが、四信先輩」 「そう。屋上に温室あるでしょ、あそこで寝てた四信さんが部活遅れるって飛び起きて、七緒を見つけた。偶然にも七緒の胸ぐらを掴んでいるのは四信さんの同級生」  屋上の温室はサボりに持ってこいだと聞くけれど、一度も行ったことがない。サボる勇気がないし、寝るなら授業中に寝ればいいと思ったから。でも、四信先輩が温室で寝ていることがあるなら、今度行ってみようとこっそり誓った。あわよくば寝顔を見たい。 「四信先輩が仲裁に入ったの?」 「四信さんが七緒たちを引き剥がして助けてくれたみたい。四信さんは中学の時から人気者だったから、四信さんに嫌われたくなくて同級生たちも取り繕ったらしいよ。僕と三千留と仲良しだから七緒に仲を取り持ってほしくて呼び出しただけ、なんて言ったらしい」 「最低だ」 「そうだね、四信さんもそんな嘘すぐに見抜いた。取り持ってほしいと胸ぐらを掴むやつがどこにいるって。多分四信さんの耳に入っていたんだと思う、本郷七緒は僕たちの腰巾着だって噂。だから四信さんは友だちに家柄は関係ない、俺を貧乏って知っていてもお前たちは俺の友だちでいてくれるだろって言った。七緒のことも、同級生のことも、まるごと救えるのは四信さんくらいだよね」  それって、つまり、あのときの、カラオケのときとおなじだ。俺がJKに絡まれて困っているとき、四信先輩は俺のことはもちろん、JKのことだって、救った。もっとJKを冷たくあしらって俺だけを救う方法だってあっただろうけど、四信先輩はそんなことしない。いつだってみんなを救う人なんだ。 「ねぇ、旺二郎。僕がどうしてこの話を旺二郎にしたかわかる?」  いっちゃんの黒い瞳からはすっかりからかいが消えていた。どうしてって、話の流れじゃないの。そう言いたかったけれど、きっとちがう。いっちゃんの問いにはかならず意味がある。そんな気がする。 「……俺がさいきん四信先輩と仲良いから?」 「近いようで、遠いかな。四信さんにとって誰かを救うことは当たり前のことなんだよ、特別じゃない。特別な誰かだから救うわけじゃない、目の前で困っている人がいればそれが誰であれ救う。自分のことより他人のことを考える四信さんをものにするのは大変だよって話」  さっきまで真剣さしか宿っていなかったいっちゃんの黒い瞳にふたたびからかいが灯る。  四信先輩をものにするって、つまり、俺が四信先輩をひとりじめしたい、そんなふうに思っているといっちゃんの目には映っているのだろうか――そんなこと、思っていない。たぶん。きっと。

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