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「……俺はべつに四信先輩をものにしたいとか思ってない」 「ふぅん。まぁ旺二郎がそう言うならいいんだけど。じゃあひとつアドバイスしてあげるよ」  いっちゃんならひとつどころかふたつやみっつアドバイスできるだろうに、たったひとつ。興味ないふりをしながらじっといっちゃんを見つめる。 「自分のことより他人を優先する四信さんは自分の感情に疎い。こと恋愛に関してはからっきしだよ。だから押して押して押しまくるくらいがちょうどいい。いろんなことすっ飛ばしてとりあえずキスから始めたらどうかな」  いっちゃんのきれいな指が俺の厚ぼったい唇をとんとんと撫でる。完全にからかわれている。いっちゃんこのやろう。恋愛のすべてを知っていますという顔をして俺をからかうのやめてください。 「……いっちゃんはいいよね。恋愛だって、なんだって、思うようにいくでしょ」  机につっ伏せ、いっちゃんを見上げる。いつも余裕な表情を浮かべているいっちゃんがかすかに眉をひそめ、ため息を吐いた。  あのいっちゃんが、ため息。なんで。どうして。なんでもそつなくこなしちゃういっちゃんが。思いどおりにならないことなんてひとつもないって豪語するいっちゃんが。ほしいものはなんでも手に入っちゃういっちゃんが。驚きすぎて言葉がでない。 「……僕はあの人しかいらないのに、なかなか僕のものにならないんだよね。どう思う旺二郎」  いっちゃんが恨みがましく俺を見ている気がするのは、気のせいだろうか。きっと気のせい、うん、気のせいだ、そうしよう。一人で納得しながら、いっちゃんが言う「あの人」が誰なのかわからないうえに、恋愛相談に乗るなんて俺には無理ゲーだ。 「押して押して押しまくったらいいんじゃないの」 「……なるほど。押して押して押しまくってるからだめなのか。ちょっと引いてみる」 「あれ? 俺のアドバイスの意味あった?」 「あったよありがとう」  まったく意味がわからないけどどういたしましてと呟いて、鞄の中からスケッチブック、ペンケースを取りだす。どんな構図にしようかと鉛筆をくるくる回すと、いっちゃんがスケッチブックをぺらぺらとめくり始める。どこもかしこも四信先輩しか描いていないスケッチブック。「うわぁ」ドン引きだという事実をちっとも隠さないいっちゃんが俺は意外と好きだ。 「どこもかしこも四信さんだね」 「だって四信先輩描くの楽しいんだもん」 「確かに旺二郎のワクワクが絵から伝わってくる。旺二郎、変わったね。四信さんのおかげで」  ばあちゃんにも変わったと言われたけど、いっちゃんにも言われたのだから俺はきっと変わったのだろう。悪いほうではなくて、良いほうへ。  いっちゃんがスケッチブックをめくっていると、教室の扉が開いた。まぶしいと目を細めると、みっちーとなっちゃんが立っていた。「おうちゃんがいる」「遅刻ギリギリの旺二郎がいるということは、もしや遅刻か」「マジかースマホの時計狂ってる系?」ひどい。それが早起きした俺にかける言葉なのか。思わずいっちゃんと顔を合わせる。「三千留と七緒の言っていることはわかるよ。僕も空から女子が降ってきてもおかしくないなって思ったから」ベストオブひどいで賞はいっちゃんに決まり。

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