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「あれ、いっちゃんと……兄貴?」  教室に入る前、必ず扉の窓から中を覗いてしまうのは俺だけだろうか。誰が中にいるか、いないかで、教室へ入る勇気が変わる。この時間帯だといっちゃんしかいないことが多いのだけれど、今日は兄貴もいる。なんでだ。  いっちゃんは優等生代表だし、教師受けはいい。だから兄貴と話していてもおかしくないけど、でも、職員室じゃなくてわざわざ教室で話すことってなんだ。いっちゃんと兄貴が雑談? 二人の共通の話題ってなに? 俺のこと? それはそれではずかしい。  二人の話している内容はさっぱり聞こえないけど、表情はわかる。いっちゃんは対教師の顔をしていない。兄貴と話すのが楽しくてしょうがないとばかりに、眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。あのいっちゃんが、あんな表情できるなんて、俺は知らない。きっと誰も知らないんじゃないか。兄貴も困ったような顔をしているけれど、心から困っているわけじゃない。どこか楽しげに話している。弟の俺には見せない表情。二人の空気感は、まるで、恋人のようなそれ。  あ、やばい。手からスケッチブックがすべり落ち、ドサッと廊下に響いた。案の定、教室にも聞こえたらしく、いっちゃんを見ていた兄貴がこちらへ視線を向ける。ばちりと目が合うと、兄貴は穏やかに目を細める。それは、俺がよく知っている兄貴の顔。さっきまでの顔は心の奥底にしまいこんで、なかったことのように、いつもどおりに笑っている。あれは、いっちゃんにしか見せない顔なんだ。いっちゃんって、何者?  教室の扉をゆっくり開ける。いっちゃんは、ようやく俺に気づいたのか、兄貴から視線を俺に向ける。さっきまでのキラキラした瞳をひっこめて、すっかりいつものいっちゃんになっていた。 「旺二郎おはよう。最近早起きだって聞いたぞ」 「兄貴おはよう。ばあちゃんから聞いたの? なんかはずかしいなぁ」 「いや、僕が神谷先生に話したんだよ。弟さん、最近頑張っていますって」  いっちゃんが、兄貴に。俺の話をして、あんなふうに二人で笑い合って、恋人みたいな空気感だすってどういうこと。さっぱり意味がわからない。いっちゃんに兄貴をとられたみたいな気分で悔しくなる俺はほんとどうしようもなくブラコンだ――そうだ、兄貴の家に行こう。四信先輩のこととか、コンクールのこととか、なっちゃんのこととか、話したいこと、相談したいこと、山ほどあるし。 「今日兄貴の家に行っていい?」  ふたつ返事でいいぞと言ってくれると思ったのに兄貴は「えっ」とものすごく驚いたような声を上げてから、それを必死にごまかそうと咳払いをした。  なんなんだ、その反応。まさか、俺が知らないところで彼女と同棲していたり、するのか。たしかに兄貴は学生時代からバカみたいにモテる。彼女がいたっておかしくない。兄貴に彼女がいても広い心で受け入れられる、きっと、たぶん、あ、想像したら泣きそう。やっぱり無理。ブラコン卒業できそうにない。

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