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「俺、そんなにすげー人間じゃねえぞ。みんなに平等かって言われるとちげえしよ。なあ、旺二郎が野獣だったら、どう過ごす? 美女との恋愛を望むか、そのまま時を過ぎるのを待つか」  四信先輩はもうごまかすことなく、真剣にそう言って俺を見る。あまりにその瞳が真剣だから、俺もごまかしたらいけない。誠実にこの人と向き合おうとスケッチブックをテーブルに置いた。  俺がもし野獣だったら、どうするだろうか。幼い頃から何度も見た映画。「私だったら野獣と恋とかマジ無理」そう言った姉貴を見て、俺は外見だけで判断する人はしんそこいやだと思った。俺自身、四信先輩の顔に惚れたわけじゃない。顔ももちろん好きだし、かわいいと思うけど、それ以上に四信先輩の心が好きだ。 「……俺、外見だけで判断したくないんです。だから、美女だから恋愛するとかは無理だと思います。その人の心に惹かれたら、元の自分に戻りたいとかそんなの関係なく恋に落ちると思います。これ、答えになってますか」  自分で言ってよくわからなくなってきたから、とりあえず四信先輩を見つめると、四信先輩は優しく笑って頷いてくれた。「旺二郎らしいわ」どこらへんが俺らしいのか、俺自身さっぱりわからないけど、四信先輩にそう言ってもらえると誇らしい気持ちになる。 「俺、ゆっくりわかりあいてえとか、じわじわ派とか前言っただろ。あれ嘘じゃねえけど、半分は違うかも。恋愛と友情、どこが境目なのかよくわかんねえ。恋愛として好きだなって思ったけど、よくよく考えると友情の好きだったとかあったし、それで傷つけたこともある。マジで最低だよな。まあ、それ以外にもいろいろあって、恋愛はしちゃいけねえって思ってる。真実の愛なんて俺一生わかんねーかも……あー、なーに言ってんだろうな俺。キモイわー引いていいぜ! つーか引いてくれ!」  四信先輩はきつく目をつむって、顔の前で両手を合わせる。  引いてくれって、なんだそれ。そんなのって無理だ。どうしたって引けそうにない。引いたりしたくない。誰かを傷つけて、それを最低だと思える四信先輩のどこに引けばいいんだ。むしろ、四信先輩は誰よりも真実の愛にたいして、深く考えて、悩んでいるように思える。 「俺は引きません、ぜったい。それに四信先輩はキモくないです、ぜんぜん。四信先輩にも、真実の愛をわかるようになると思います」  むしろ俺が、わからせてあげます。  そう言えたらよかったけど、それは言えなかった。そこまでの勇気がなかった。  きつく目を閉じていた四信先輩が俺を見上げる。真っ黒い瞳はほんのすこし潤んでいる気がして、こんなときなのに、ああ、かわいいなと思ってしまった。 「……真実の愛を知ったとして、その上で、また、捨てられたら、俺は」  また、捨てられたら?  ひとりごとのように呟かれた言葉の意味は、俺にはまるでわからなかった。だけど、四信先輩の孤独を、さみしさを、たしかに感じて、気がついたら四信先輩を抱きしめていた。  どくどくどくどく、バカみたいに心臓がうるさい。だけどかまうものか。俺は、四信先輩を安心させたい。恐怖を取り払いたい。 「捨てるとか、捨てられるとか、よくわかんないですけど、俺は四信先輩を捨てたりしません、ぜったいに」  四信先輩の黒い瞳がゆらゆらと揺れ、眉尻が下がる。困っているような、それでいて心から嬉しい、俺のことを信頼しているとばかりに四信先輩の頬がゆるむ。  ああ、もう、そんな顔しないでください、かわいすぎて、よくわからなくなる。自分を制御できなくなる。ぐるぐると頭にめぐるのは、いつかのいっちゃんの言葉。「いろんなことすっ飛ばしてとりあえずキスから始めたらどうかな」バカじゃないのかと否定できるほど、いまの俺は冷静じゃなかった。 「……旺二郎、お前、ほんと変わった、強くなったし、かっこ良くなったよな、ほんとありが」  俺は、四信先輩が最後まで言葉を綴ることすら待てず、その薄くて大きな唇をふさいでいた。

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