85 / 96

二秒で開ける_09

「かわりにこげたトーストとメモが置いてあってよ、親父からだった。メモには朝ごはん食べてくれ、行ってらっしゃいって。なんで親父が朝飯作るのかよくわかんねえし、母さんはまだ帰って来ねえしで、スッキリしないまま学校に行った。次の日も、その次の日も、母さんは帰って来なくて、親父と二人が当たり前になって、親父はもっと仕事人間になって、俺はバスケに打ち込んで、いつの間にか母さんのことは最初からいなかったと思うようになってた。したことなかった家事をするようにして、母さんの役割を俺が担うことで、母さんはいなかったんだって思うようにした。んなの無理に決まってんのにな」  俺は、父親と母親を覚えていない。俺が生まれてすぐ、両親は交通事故に遭った、らしい。だから、俺にとっての母親はばあちゃんであり、兄貴。俺にとって、両親は写真でしか見たことのない人たちだ。父親はびっくりするほど俺に似ていて、母親は優しそうな人。そんな漠然としたイメージしかない。  だけど四信先輩はちがう。たしかに母親に覚えている。その母親がとつぜんいなくなってしまったら、自分の心を守ろうとして『いなかったことにする』のは当然のことのように思えた。 「ようするに俺も親父も、母さんに捨てられた事実を認めることができなかったんだよな。まあでも、中学生にもなると母さんいねえ状況にすっかり慣れて、家事も得意になったし、バスケ楽しいし、それでも忘れたわけじゃねえけど、忘れたふりをしてふつーに生きていけた。それが中二の時、遠征先でマジで偶然、母さんを見つけたんだ。すっげえびっくりした。話しかけようか悩む間もなく、母さんのパート先の店長だった男と、小さい男の子が母さんに寄っていってよ、三人で手を繋いで歩き始めたから、あー、やっぱ俺たち母さんに捨てられたんだなって認識しちまった、いや、させられたのほうが正しいな――母親って存在は無条件で息子を愛してくれるって思ってたけど、んなことねえんだなって、捨てて、新しい家族をさらっと作れちゃうんだなって思ったら、愛が、怖くなっちまった」  いちばん泣きたいのは四信先輩だと、心の底からわかっているのに、涙が止まらなくなる。四信先輩に見られないように、腕の中に強く閉じ込めても、ぐずぐず鼻をすする音でバレバレだ。  四信先輩は俺の胸から顔を上げると、穏やかに微笑んで俺の目尻を撫でて涙をすくい上げる。「俺のかわりに泣いてくれてんだろ? 母さんの背中を見つめて、手を伸ばすことができなかった俺のかわりによ」この涙はきっと、中学生だった四信先輩のものだ。中学生だった四信先輩をいまの俺がぎゅっと抱きしめて、かわりに泣いている。それなら、四信先輩のために、涙を止める必要はない。四信先輩の言葉に「……はい、中学生だった四信先輩を抱きしめて、かわりに泣きます」と頷いた。 「んだよそれー、今の俺も抱きしめろよ」  少し拗ねるように唇を尖らせる四信先輩がかわいくて、ちゅっと触れるだけのキスをする。四信先輩は照れくさそうに前髪をいじり「キスする前に予告しろって言っただろ!」と笑った。予告したら断ったくせに。

ともだちにシェアしよう!