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 明日も学校があるからと主役ではあるが、パーティーから抜け出した。けっきょく僕がいようといなかろうと、『広尾五喜生誕祭』は回る。おかしな話だ。  電車で帰るときかない七緒を無理やり車で送らせ、三千留もいつもの白いリムジン(通称白馬)に乗り帰ると思いきや「五喜、乗れ」と僕まで乗ることを促してくる。拒否権はないことはわかっているけど、意図がわからない。 「家まで送ってくれるわけじゃないよね」 「今日は五喜の誕生日だろう。王から褒美を与えようと思ってな」 「もしかして世界の半分を僕にくれるとか」 「まだこの世界は俺様のものではないからな、それは諦めてくれ」 「手に入ったらくれるわけ」 「五喜が望むならくれてやる」  本当にいつかこの世界が三千留のものになりそうだなと笑いながら、大人しく三千留のとなりに座ると、運転席にはシルバーアッシュの美青年・目黒千昭(めぐろちあき)がいた。 「Hej,イツキ! お誕生日おめでとう」  三千留に劣らない美形なんて、この世にいないと思っていたけれど、初めて千昭さんを見た時にハッとした。三千留に劣らず、その上輝かせる。二人が並ぶと無敵だと誰もが息を飲んでしまう。旺二郎あたりはあまりの眩しさで倒れるかもしれない。 「五喜、こいつは新しい運転手の千昭だ」三千留に千昭さんを紹介されたのは、中学一年の春。当たり前のように三千留の腰に腕を回し、その白い頬にキスをし「運転手なんてつれないなぁ、ミチルの永遠の恋人でしょ?」と平然と言ってのけられる男はきっと千昭さんしかいないだろう。そのあと、三千留に殴られてもしれっとしていたことを今でも覚えている。 「千昭さんありがとう。ていうか久しぶりだね、運転手をクビになったのかと思ったよ」 「そろそろクビにしようと思っていたところだ」 「イツキー、俺の王様ヒドイと思わない? すーぐクビって言うんだよ」 「僕は千昭さんの運転嫌いじゃないよ、なかなか刺激的で」  白金財閥お抱えの運転手は、当たり前だけれど安全第一。だけど、千昭さんはいつだって刺激的な速度で車を走らせている。どうして白金家の運転手をやっているのか謎だ。三千留とどこで知り合ったのかも僕は知らない。「俺様が拾って来た」「ミチルに拾われた」二人はそう言うだけで、それ以上は教えてくれなかった。 「千昭が輝く場所はここではないと言っているだけだ」 「俺が輝くのはミチルのそばだって何度言ったらわかるのかな。イツキだってそう思うでしょ」 「そうだね、僕は二人が揃うと無敵だと思うよ」  僕の言葉に千昭さんは満足したのか、緩やかに口角を上げ車を走らせた。三千留は千昭さんの素振りに眉根を寄せるも、それ以上は千昭さんになにを言うでもなく僕のほうをじっと見る。「手を出せ」言われたまま、三千留に向かって手を出すと、チャリンと金属の音。ブルガルのキーリングにちっとも合わない庶民的な家の鍵がついていた。 「広尾家が用意した高級マンションは気に入っていないのだろう? だから俺様が五喜のために部屋を用意してやった、ありがたく思えそして褒め称えろ」 「キャー三千留様ステキー」 「お前は感情をどこに捨てて来たのだ、まるで気持ちが入っていないぞ」 「だって、気持ちを込めてないからね。ていうか意味わからないよ、部屋を用意したってどういうこと」  確かに広尾家が用意した高級マンションは気に入っていない。高級マンションだから気に食わないわけではなく、広尾家が用意したから居心地が悪いのだ。  中学を卒業したら一人暮らしをしたいと言えば、次の日には父が部屋を用意してくれた。あまりの手際の良さに広尾家にとって僕はいらない子であると言われている気さえした。もちろん、そんなことは口にせず、父への感謝だけを述べ、息苦しいお屋敷をでた。あの家を出さえすれば解放されると思ったのに。 「この鍵は五喜を広尾家の呪縛から解放してくれると俺は信じている。さっさと解放されて、自分の進路を明確にすることだ。お前の人生の舵をとるのはお前だぞ」  僕を、解放してくれる鍵ってどういうことだ。  目の前の青い瞳をじっと見つめると、三千留は驚くほど穏やかに微笑む。「さあ着いたぞ、当たって砕けぬようにせいぜい励めよ」  王様はいつだってそうだ、問いを投げるけれど答えは自分で見つけろと笑う。ああ、わかったよ、自分で答えを見つけてやるさと、車から降りた先に広がる光景に思わず目を見開いた。  だって、まさか、ここって――勢いよく三千留のほうへ振り返ると、白いリムジンはあっという間に見えなくなっていた。最高の褒美だと思わず声を上げて笑いそうになるけれど、ぐっと堪えて、慣れた足取りでマンションへ入った。 「……今は朝じゃないんだが」  扉を開けて第一声がそれなのと思わず小さく笑う。確かにどこからどう見ても真っ暗だね。  いつもスーツでビシッと決めている一志さんがスウェット姿で僕の顔をまじまじと見つめてくる。スーツ姿もエロいけど、スウェットの油断している感はありだなと一人頷きながら、にっこり微笑む。 「となりに越して来た広尾五喜です、よろしくね」 「……は?」 「王からの褒美でね、一志さんの隣室を賜ったわけ。これから一緒に登校するのが楽になるね」  それじゃあお邪魔しますと一志さんの許可を得ず、玄関で草履を脱いだ。「おい五喜、お前の部屋は隣なんだろ」戸惑う一志さんをスルーして、リビングへと向かう。  毎日掃除をしているのか、どこもかしこも綺麗だ。一人暮らしの成人男性の部屋とは思えないほど。黒で統一された家具はシックで落ち着きがあり、一志さんらしさがある。これから毎日隙あらば入り浸ろうと心に決め、黒のソファーに倒れこみ、ゆっくり目を閉じた。  今日は疲れた。形状記憶の笑顔を貼り付けるのも、母や兄と会話を交わすことも、精神的に疲れる。それ以上に将来について明確なビジョンがない自分に嫌気がさす。  僕の人生の舵をとるのは、僕。頭ではわかっていたつもりが、ちっともわかっていないことを思い知らされた。僕は広尾家に縛られすぎている。  ため息を吐いて、目を開けると一志さんがローテーブルにマグカップをひとつ置いた。蜂蜜とレモンのいい匂いが鼻をくすぐる。 「ホットレモンだ、とりあえず飲め」 「手際良すぎでしょいい嫁になるね、もちろん僕の」 「冗談を言える元気があるなら帰れ」 「いただきます」  にっこり微笑んで、マグカップを手に取ると一志さんは僕のとなりに腰を下ろして明日の授業に使うのであろうプリントに目を通している。どうして一志さんは教師になろうと思ったのだろうかとプリントを覗き込みながら、ホットレモンを口にする。ああ、美味しい。本当にほっとする味だ。疲れているからなのか、泣きそうになるほど美味しい。 「ねぇ、一志さんはどうして教師になろうと思ったの」  プリントに目を通していた一志さんが僕のほうに視線をやり「いきなりどうした」と首を傾げる。あ、それ可愛い。キスしたい。そう思ったら最後、顔を寄せてちゅっと口づけていた。「……今なんでキスした」「一志さんが可愛かったから。それで、どうして教師になったの」ちっとも理由になっていないぞと眉を寄せる一志さんが可愛くて、またキスしたくなったけどさすがに我慢した僕を褒めてくれてもいいんだよと言ってやりたい。

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