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亡き母のためのパヴァーヌ

 昔から眠りが浅いほうだと思っていた。物音がするとすぐに起きてしまうから、誰かと一緒に眠ることは苦痛でしかない。彼女にお泊りしたいと言われた時は「お泊りは二人にとって特別な日にしたい」と言って逃げてきたし、修学旅行なんかは一睡もできなくて、いつも三千留と七緒がつき合ってくれて夜通ししゃべり倒した。  だから、自分に驚いている。眠りの浅い僕が一回も起きなかったことに。眠っている一志さんを眺めたり、こっそり寝顔を撮ろうと思っていたのに。目が覚めた時には一志さんはすでにとなりにいないってどういうこと。ちょっとだけ悔しい。先に起きて「おはよう、寝ぼけた顔も可愛いね」とキスする予定が完全に狂った。  ゆっくりベッドから体を起こす。よく寝た、なんて言葉、一生無縁だと思っていた。本当によく寝た、眠れた。一志さんがとなりにいてくれたから、だ。  スウェットのまま、寝室からリビングへ。お味噌汁のいい匂いが鼻を掠める。一志さんは黒いエプロンをつけ、小皿に入れたお味噌汁を口につけて味見をしていた。あ、いいな。思わず声にだしそうになる。  映画やドラマによく見る光景。それでも一志さんがやると、妙に色気がある。正直言ってエロい。一志さんと知り合ってから、自分はものすごく性欲がある人間だと気づかされた。黒いエプロンっていうのが、またいいよね。ストイックで真面目な一志さんらしい。後ろから抱きしめて、「おはよう五喜」と笑顔で振り向いた五喜さんにキスをしたり、エプロンの隙間から手を入れてあんなことやそんなことしたい。「あ、五喜、やめろ」なんて言われながら太腿を撫でたり、耳の中に舌を入れてわざとじゅぷじゅぷ音を立てて、恥ずかしがる一志さんを見たい。  僕ってエロガキだったんだなとしみじみ思いながら、じっとり一志さんを見つめる。うん、一生眺めていられるな。時が許すかぎり、一志さんを見つめていたい。 「五喜起きたか、おはよう」  お椀に味噌汁を注ぎながら、一志さんは俺のほうを見る。ものすごく新婚さん気分になるのは、きっと一志さんのせい。エプロンをつけて、朝からしっかりお味噌汁を作るなんて、どこからどう見ても新妻。新妻って響き、エロいなぁ。 「おはよう一志さん、今日も可愛いね」  エロいねと言わなかった僕を褒めてほしい。  にっこり笑みを浮かべ、ダイニングテーブルに置かれていた眼鏡をかける。 「……お前は朝から元気だな」 「おかげさまで」 「いつも登下校につき合ってくれるお礼になるかわからないが、五喜の分も朝食を作ったんだ。よかったら食べてくれ」  登下校につき合ってくれるお礼。そんなの僕がしたいくらいなのに。どこまでくそ真面目で可愛いのだろうこの人は。  思わず額に手を当てると「どうした五喜、具合が悪いのか。朝食は食べない派か?」予想の斜め上をいくことを言い出すものだから困る。おろおろと音がしそうなほど、眉が下がり僕のことを心配している。可愛いがすぎるでしょ、どうしてくれるのかなまったく。  ズカズカとキッチンまで歩み寄り、一志さんと一気に距離を詰める。「五喜どうし」一志さんの言葉まで飲み込むように唇を奪った。お味噌汁の味がする。やっぱりえっちだ。 「一志さんのおかげで絶好調だよ。食後のデザートは一志さんかな」 「若いくせに言動がいちいちセクハラ親父くさいのはどうしてなんだ」 「セクハラじゃなくて、口説いているって言ってほしいな――ありがとう、朝食作ってくれて嬉しいよ。一人暮らし始めてからパンを適当に焼いてばかりいたから和食が恋しかったんだ」  運ぶことしかできないけど手伝わさせて。  そう付け足して、一志さんが手にしていたお椀を持つ。春キャベツとじゃがいもが入ったお味噌汁。旬の野菜をきちんと取り入れる真面目さが見えて思わず口元を綻ばせると、一志さんに手を掴まれた。 「どうしたの一志さん、積極的だね。キスしてほしいの?」 「ち、ちがう! そうじゃなくて、五喜は毎朝パンしか食べないのか」 「うん。あとは栄養ドリンクとか」 「じゃあ、夜は」 「夜はデリバリーかな」  便利な世の中だと思う。最近のデリバリーは思ったよりもずっと美味しいし、一人暮らしでもまったく困らない。離れで食べる上辺だけ豪華な夕飯より、今のデリバリー生活のほうがよっぽど幸せだ。  それなのに一志さんは信じられないとため息を吐いて、僕の肩にしっかりと手を置いた。 「いいか五喜。高校生は体を作る大事な時期だ。そういう時に朝食を抜いたり、夜を適当にすませてばかりいるのはどうかと思う。朝食を食べることで基礎代謝や集中力が上がるし、今適切な栄養をとることで丈夫で健康な体になる」 「そうだね、今は若いから体力もあって一志さんがもう無理って泣いても離してあげられないけど、将来的に適当な食事をしていたせいですぐに疲れて一志さんを満足させてあげられないのは困るね」  いつまでも一志さんにはもう無理って泣かれたいよ。  肩に置かれた手をとり、キスを落とす。一志さんはわなわなと唇を震わせた。「……俺はそれなりに真面目な話をしているのに、どうしてお前はそう」おちょくるんだと言いたげにしている唇に軽く吸いつく。どこまでもくそ真面目で可愛いから、ついおちょくりたくなる。

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