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「本気出すまでキスしないって言われたのに、約束を破ってごめんね……理由、説明してもいい?」
潤んでいる一志さんの瞳を直視できるほど僕の理性は鋼ではなく、若干俯きながら言う。一志さんは目を合わせろだのなんだの言わない。「俺が抵抗しなかったし、五喜が謝る必要はないんだが、聞かせてくれ」僕がそうしていたように、一志さんは僕の両頬を挟む。今目が合ったらまたキスしたくなるんですけど、わかっているのかなこの人は。
「……いつのまにか僕の中で一志さんとキスをするために本気を出す、みたいな意味合いに変わっていたんだ。それっておかしいよね。お小遣いほしさでテストを頑張る子どもみたいだ。ご褒美がなければ本気を出さなくなるし、ご褒美のグレードがこの間より低かったらやる気がでなくなる。今回はディープキスだけど、次は一志さんの乳首弄らせてとか言うようになっちゃう」
一志さんのVネックシャツから剥き出しの鎖骨もたまらないけど、シャツを捲り上げて乳首を弄り倒したい欲求がある。一志さんの鎖骨を人差し指でなぞり、ゆっくり指を下げていく。たったそれだけのことで、一志さんは「んっ、んぅ……っやめ、……ッ」とびくびく体を震わせて声を上げる。シャツの上から乳首に触れたら一志さんはどんな声を上げ、どんな表情をするだろうか。むくむくと悪戯心が湧くけれど、ぐっと堪えて、シャツをくしゃりと握りしめた。一志さんのすべてを暴きたいけれど、それ以上に僕は一志さんの信頼を裏切りたくない。
「だから、本気を出した結果として一志さんとキスをするのはやめる。僕は僕のために本気を出すよ」
育ての母の呪いから解き放たれるために、リレーを本気で走る。その結果、二位ならそれはそれでいい気がする。二位を目指しての二位と、本気を出しての二位はまるで意味が違うから。
一志さんが僕の手に弱々しく触れる。どこか申し訳なさそうに眉を下げる一志さんを安心させたくて、その手を握りしめると、一志さんの表情が微かに和らいだ。
「……お前が本気を出したらキスをするなんて条件を出した俺が悪いな、本当にすまない。俺は教師なのに生徒である五喜のキスをいつも受け入れていいものかと悩んでいたんだ、教師ならば毅然とした態度で拒むべきじゃないのかと。だから、咄嗟に本気を出すまでキスをしないと言ってしまった。でも、体育祭までの一週間は、その、悔しいことに、寂しかった」
今まで彼女に「お茶のお稽古が多いからなか会えなくて寂しい」と言われるたび、鬱陶しいと思いながら「僕もきみに会えなくて寂しいよ」と切なげな表情で返していた。心からの笑顔を浮かべているようで、全力の嘘。寂しいという言葉は重荷でしかなかった。
それなのに、一志さんの口からこぼれると、ただただ愛しい。愛しさが、可愛さが止まらない。これが、本気になるという気持ちなのだと実感する。本気で人を好きになると、こんなにも愛しい。
「俺から言い出したことなのに、五喜とキスできなくて寂しいなんておかしいし、どう考えても教師失格だ。それなのに夕飯を食べた後さっさと帰る五喜を見ると寂しく感じてしまう自分がいたし、静かな部屋で一人でいるのは味気ない。もう五喜は俺の生活の一部なんだって、認めざるを得ない」
まるで僕のことが好きだと言ってるように聞こえる。気のせいなのかな。一志さんの頬がじわじわと赤くなっているのは、気のせいじゃなくて事実だ。好きな人に嬉しいことを言われすぎると人間はキャパオーバーになると、今日知った。後半正直頭に入って来ていない。だけど、一志さんの表情を見ていればわかる。少なくとも、僕のことを拒んでいないということを。
もうキスは終わりしないといけないと思ったのに、ほんの一瞬だけのキスをする。唇を離すと、恥じらいを滲ませた一志さんは瞬きを繰り返す。いつもは色気を纏う魔性の男なのに、今の一志さんは恋を知ったばかりの少女みたいだ。いくつ表情を持っているのだろう。ぜんぶ僕だけに見せてほしい。
「教師失格でいいよ、もっと僕のこと好きになって。僕なしじゃいられなくしてあげる。僕はとっくに一志さんなしじゃいられないよ」
この一週間、僕は地獄だったよ。何回一志さんにキスをしたくなったか教えてあげたい。
一志さんの唇にそっと触れようとしたその時、足音が聞こえる。このやる気なさげな足音は、もしかして。
扉に体を預けていた一志さんは思いきり背筋を正して、耳をすませる。「旺二郎の足音だ」小声ながらも自信満々に一志さんは言う。やっぱり一志さんもブラコンだよねと唇を尖らせる。はぁ、旺二郎、空気読んで。
一志さんは音を立てないように扉の鍵を開ける。旺二郎にバレるといけないから、あとからこっそりでるかとため息を吐くと「……五喜」小さな声で名前を呼ばれる。「どうしたの一志さ」最後の言葉は一志さんの唇に奪われ、あっという間に離れていく。
子どもみたいなキスだ。それなのに、今までで一番胸が踊った。初めて、一志さんからキスをしてくれた。好きな人からのキスってこれほどまでの破壊力を持っているのか。今なら世界を敵に回せそうだし、その逆に世界を救える気さえする。
「……五喜なしではいられないとはまだ思えないが、五喜なしだとつまらない。だから、今夜は夕飯が終わってもゆっくりしていってくれ」
なんてずるい人だ。だけど、そのずるさにどうしようもなく胸が高鳴る自分がいる。絶対に僕なしじゃいられなくしてやるから覚悟しておいてと扉からでていく一志さんの背中に誓った。
とりあえず兄弟の会話でも盗み聞きしようかなと扉に耳をすませる。「……旺二郎、大丈夫か? 顔色がよくないみたいだ」自分のことより、人のことを心配する一志さんらしい第一声。だけど、人の心配より自分を心配したほうがいいかもしれない。頬の赤みはひいていないし、僕のせいでシャツが乱れたままだ。
「兄貴こそ具合悪そうだよ」
今度は旺二郎の声。いつもは鈍い旺二郎だけど、さすがブラコン。頬の赤さやシャツの乱れに気づいたのか。
さて、一志さんはなんて返す? まさか僕とキスしてましたなんて言えるわけがない。ああ、一志さんがどんな表情しているのか見たかったなぁ。弟の前だから必死に平常心を保っているのだろうか。内心困っているのに、必死にお兄ちゃんな顔をしている一志さん、絶対に可愛い。
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