31 / 56

05

「痛いぞ五喜」 「だって、一志さんがあんまり可愛いこと言うから」 「別に言ってないが」 「無自覚って本当怖い」  すぅー、はぁー、すぅー、はぁー。  深呼吸を繰り返していると、一志さんがいつものように僕の背中をぽんぽんと撫でてくる。さっきまでとろとろえっちな表情をしていた人とは思えないなぁ。今も僕が支えていないと立っていられないのにと思わず頬を緩ませ、一志さんをお姫様抱っこする。 「だ、だからなんで、お姫様抱っこなんだ」 「一志さんの可愛い顔がよく見られるからね――今日、一緒に寝てもいい?」  旺二郎と三人で夕飯を食べたから、イチャイチャタイム減ってるよね。だから、埋め合わせしよう。  にっこり微笑んで一志さんを見つめる。一志さんは照れくさげに眉尻を下げながらも、こくりと小さく頷いてくれた。あー、かっわいい、めちゃくちゃにしたいけど、しない僕って理性の塊だよね本当に! 「じゃあシャワーは朝浴びるとして、今日はこれからベッドで一志さんの青春話でも聞かせてもらおうかな」 「青春話? 学生時代の話ということか」 「うん。一志さんって中学から百花だったの?」  寝室に移動して、ゆっくり一志さんをベッドに下ろし、クローゼットの中に入っている(というより無理やり入れた)僕のスウェットと一志さんのスウェットを取り出して、一志さんのものをベッドの上に置いた。 「俺は高校から百花だ。特待生制度が充実していて、祖母、こずえさんに負担をかけずにすむと思った」  学生の頃から自分のことより、人のこと。一志さんはいつだって一志さんなんだと嬉しくなりながら、クローゼットの方へ視線を向けたままゆっくり制服からスウェットに着替える。  あまりに早く着替え終えてしまうと、一志さんがまだスウェットに着替えていないことがある。振り返った瞬間、一志さんが上半身裸だった場合、ラッキースケベとポジティブに喜べる自信がない。ふつうに勃起するよね。だから、なるべくゆっくりかつ自然に着替え、自然に振り返る――よし、一志さんはもう着替え終わっていた。よかったけど、ちょっと残念とも思う僕って本当に勝手だなと笑う。  ベッドに乗り上げていつものように一志さんを抱き寄せながら、一志さんの頭の下に腕を潜らせた。一志さんはどこか遠慮がちに頭を乗せるけど、時間がたってくるうちに、自然とリラックスして、僕に頭を預けてくれる。その時間経過さえ、僕にとって愛しい。腕枕は男にとって苦痛でしかない行為だと思っていたけれど、一志さんにする腕枕は幸福しか生まない。 「一志さんって高校生の頃から人のことばっかり考えてたんだね。そういえば、兄さんも言ってたな。一志さんは面倒見が良くて、誰からも慕われていた、って」 「清道が? 俺より清道のほうが面倒見が良いと思うけどな、高校入学組の俺をいつも気にかけてくれた」 「なんか兄さんに嫉妬しそう。学生時代の一志さん見てみたい。写真とかないの?」 「実家にあると思うが、なんとなく五喜には見せたくない」 「おかずにするから? それは当たってるけど」 「……ばっ、そういうこと口に出すな! 清道は五喜と違ってそういう話はまったくしなかったぞ」 「一志さんがそういう話に疎いから兄さんも遠慮してたんじゃない? それか、兄さんも僕みたいに一志さんが好きだったとか」 「清道は彼女もいたし、ありえないと思うぞ」 「それはカモフラージュかもしれないでしょ」  僕は大真面目に言っているのに、一志さんはありえないとばかりに笑う。  ありえないのか、ありえるのか、それすら判断できないほどに、僕は兄を知らない。兄の好みの女性、恋愛観、交際経験など、なにひとつ知らない。一志さんのほうがよっぽど知っている――まぁ、僕は兄の過去よりも一志さんの恋愛観や交際経験のほうが気になるけど。 「まぁ、兄さんのことはいいや。一志さんは高校時代何人くらいとつき合ったの? ファーストキスの年齢、初体験の年齢も知りたいなぁ」 「な、そんなこと聞いてどうするんだ」 「好きな人のことはなんでも知りたいでしょ。恥ずかしいなら僕から言おうか? ファーストキスはいつだっけなぁ、覚えてないや、好きな人とのキスは一志さんとが初めてだよ。初体験は小六かな、中学二年生の先輩。セックスってこんなものかと思ったよ。だけど、一志さんとはキスしただけで胸が踊るから、一志さんとセックスしたらどうなるんだろうね、今から楽しみだね」  にっこりと音がつくくらい微笑んでから、一志さんの頬にかかるやわらかい髪を耳にかける。僕の言葉に一志さんはじわりと頬を赤く染めながら「……五喜にとってはそんなものだったかもしれないが、相手の人にはそうではなかったかもしれないだろ」と相変わらずくそ真面目なことを言う。 「一番大事なところには触れてくれないの?」 「……なんのことだ」 「わかってるくせに。一志さんのセックスについてだよ」  はっきり目を見て言うと、今度は耳まで赤く染まる。可愛いなぁもう、悪い狼に食べられちゃうよ。  今日、この耳をたくさん愛したはずなのに、もっと愛したい。耳殻を親指と人差し指で挟んでやわやわ揉む。一志さんの体ってどこもかしこもやわらかくて、熱い。大した刺激じゃないはずなのに一志さんは「っ、んっ……それ、やめ、ろっ」と唇を震わせる。 「言葉にしないと伝わらないことってあるよね。一志さんは僕とセックスしたい? それともしたくない? 僕に聞かせてよ、一志さんの本音」  僕が意地悪く口角を上げた分だけ、一志さんは眉尻を下げる。言葉にしないと伝わらない――それは一志さんが旺二郎に教えたことだ。まさか、僕の口からその言葉がでると思っていなかったのか、一志さんは戸惑うように視線をうろうろと彷徨わせる。  それでも、ようやく決心がついたのか、一志さんはゆっくりと視線を合わせてくれる。目尻まで赤いのに、僕から目を逸らそうとしないところ、最高に可愛い。 「……俺は、セックスが好きじゃない。触られるのはやっぱり怖いし気持ちが悪い。そんな俺が女性に触れていいのかとつき合った女性ともほとんどしたことがない」  ああ、僕って馬鹿だ。踏んではいけないところを、踏んでしまった。思わず一志さんの耳殻から手を離し、引っ込めようとすると「で、も」としっかり強い眼差しで僕を見つめてくれる一志さんにその手を掴まれた。 「でも、この前も言ったが、五喜に触れられると気持ちいいんだ。この手からは五喜の優しさや愛情が伝わってくる。この手だけは、五喜だけは、特別なんだ」  好きな人に潤んだ瞳で見つめられて、甘くてとろける声で囁かれて、恥じらいがちな手つきで手を握られたら、男なら誰だってキャパオーバーになるはずだ。あわあわと口にだしてしまいそうになるほど、どうしたらいいかわからない。嬉しい、可愛い、大好き、その三単語しか頭に浮かばないほど、馬鹿になっている。とりあえず、ええっと、どうしよう、いつもの軽口がまるででてこない。ドクドクドク、心臓も馬鹿みたいにうるさい。ああ、もう! 一志さんの頭をかき抱いて、やわらかい唇に自分の唇を押しつける。余裕なんてない、自分の気持ちだけを押しつけた、まるで事故みたいなキス。 「……僕、こう見えて十六歳なんだよね。高校一年生の理性ってどんなものか、一志さんわかってる? 好きな人に、一志さんに、僕だけ特別なんて言われたら、キャパオーバーしちゃうからね。この場で襲わなかったことを感謝してほしいくらいだ。あー、もう、好き、大好き、一志さんが大好き、だから、セックスってこんなに気持ちいいんだって思わせるように努力するから楽しみにしててね」  頭に浮かんだ文章を勢いのまま口から吐き出し、一志さんにぶつけている。なんて頭の悪い言葉たちだろうと言ってから後悔するけれど、当の一志さんは小さく笑って僕の髪をぐしゃぐしゃ撫で回すときた。さすが布団並の包容力の持ち主だ。 「そうか、楽しみにしておくぞ」 「言っておくけど、五年後とか、四年後の話じゃないからね――そうだな、今度の期末、古典で一位になったら、本気で告白するよ。一位のご褒美で恋人になって、とはもちろん言わないよ。僕は一志さんの本当の気持ちを知りたい。逃げないで僕と向き合ってほしい」  これで一位をとらなかったら最高に格好悪いけどねと情けなく笑うと、一志さんが僕の頬をそうっと撫でる。一志さんは僕の手が気持ちいいと言うけど、一志さんの手だって心底気持ちいい。僕が甘えたくなるのは、この世界でたった一人だけ、一志さんだけだ。 「教師として応えてはいけないと思っていたが、そうだな、それは一種の逃げだな――もう逃げも隠れもしない。だから、しっかり一位とれよ。楽しみにしてる」  逃げも隠れもしない、その言葉が僕にとってどれだけの力になるのか、きっと一志さんは知らない。  うん、頑張る、本気で頑張るよと何度も頷くと、一志さんは「もう十二時回ってるな、ほら寝るぞ」と照れくさげに笑った。 「一志さんって早寝だよね。僕、一志さんとなら抜かずに五発余裕だと思うから覚悟しといてね」 「ばっ、か、そういう品のないことを言うな!」 「品はないけど愛はあるでしょ?」 「愛がありすぎるだろ、ほら、もう目瞑れ」  しょうがない、寝るかと目を瞑った瞬間、ちゅっと唇にふれるやわらかいなにか。えっと勢いよく目を開けると、一志さんはしっかり目を閉じていた。絶対寝たふりだよね、可愛すぎるでしょ。 「おやすみ一志さん、愛してるよ」  そう囁いてから、お返しのキスを贈る。じんわり染まる一志さんの頬に気づかないふりをしてあげる僕って大人だなぁと微笑みながら、隙間なく一志さんを抱きしめて目を瞑った。

ともだちにシェアしよう!