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五年も待つな_03
「今日は邪魔したな。一志、本当に美味かった。今すぐ白金家のシェフとして雇いたいくらいだが、我慢しよう」
夕飯を食べ終え、しばらく三千留とテスト勉強をしているとあっという間に時間が経っていた。「まったく気がつかなかったが、迎えが来ているから帰る」三千留は慌てた様子でノートと教科書を鞄に詰め込んで、一志さんと一緒に玄関まで見送る。
「一志さんは僕のお嫁さんになる人だからだめだよ」
「五喜の嫁になるとかならないとか関係なく、白金家のシェフにはなれないが、今日は楽しかった。また来てくれ」
「俺様にとっても実に有意義だった」
大切な親友が、僕の一番大切な人と仲良くしている。なんて贅沢な光景なのだろうと目を細め「三千留、エントランスまで送るよ」と言う。一志さんは「暗いから気をつけろよ、三千留また明日」と手を振った。
二人で部屋から出ると、夏の夜らしい生温い風が吹いていた。それなのに気分は晴れやかだ。
「お前は一志と出会い、明確に変わったな。広尾家の呪縛からも解放されたように見える」
「……どうだろうな、でも、そうだね、一志さんのおかげで二番に縛られることはなくなった」
マンションのエレベーターに乗りながら、誕生日に言われた言葉を思い出す。「この鍵は五喜を広尾家の呪縛から解放してくれると俺は信じている。さっさと解放されて、自分の進路を明確にすることだ。お前の人生の舵をとるのはお前だぞ」そう三千留は言ってくれた。
一志さんのおかげで、広尾家から解放されたのだから、次に考えるべきは僕の進路、か。やりたいことなんて、一志さんとのあれやこれしか思い浮かばない。それでは完全にセックス覚えたての猿だ。
古典で一位を取って、一志さんに告白をして、万が一つき合えたとして、その後、僕はどうするのだろうか。一志さんを一生支えていきたい、支えてもらいたい。そのために魅力的な男にならなければいけない。だけど、将来の夢なんてちっとも思いつかない。
「ねぇ三千留、僕は広尾家から解放されたかもしれないけど、いまだに明確なビジョンが見えてこないよ。一志さんを支えていきたい、支えてもらいたいと思うけど、将来なにをして支えるのか、まったく見えてこないよ」
「馬鹿かお前は。見えているじゃないか」
僕が見えていないとはっきり言っているのに、三千留はばっさりと言い切る。エレベーターから降りていく三千留の後を追いかけた。
「三千留にはなにが見えているの」
エントランスの自動ドアを抜けた三千留が僕のほうへくるりと振り返る。そこにいたのは自信に満ち溢れた王様ではなく、僕の大切な親友。三千留はとびきり美しい顔に優しさを滲ませていた。
「一志を支えていきたい、支えてもらいたい。それこそ明確なビジョンの一歩じゃないのか。利益のためだけに生きてきた五喜が、運命の男である一志に出会い、広尾家の呪縛から解放された。一志のためならば今までは無視していた嫌悪の塊と正面から向き合った。誰かに頼られることはあっても、頼るのが苦手な五喜が一志には甘えられる。精神面でも肉体面でも五喜は一志に出会って変わったな、気がついているか? お前、バランスのいい食生活のおかげで身長は伸び、体つきがしっかりしてきたと思うぞ――今の五喜ならば、俺様は心から支援をしたいと思っている。今月末、芸能事務所を設立することになった。五喜、俺様の事務所で働いてみないか。裏方ではなく、表舞台で活躍してほしい」
ああ、なるほどと腑に落ちた。
三千留が褒美として一志さんの隣室をプレゼントしてくれたのは、僕が広尾家から解放され、精神的に自立することを望んでいたから。成長した僕を三千留の事務所に所属させたいと、明確なビジョンを持っていた――どうやら僕は王様の掌に転がされていたようだ。それなのに、まったく嫌な気はしない。むしろ心地よい。
王様は僕に期待をして、種を蒔いてくれた。一志さんと出会い、恋をして、ようやく花が開いた。王様が蒔いてくれた種で咲いた花は、きっととびきり美しい。
「表舞台に出れば、お前が広尾家の次男であること、出生の秘密はネットの海に晒されることになるかもしれない。しかし、今の五喜ならば乗り越えていけると信じている。五喜、俺にはお前が必要だ。俺の力になってくれないか」
美しい青い瞳は、揺れることなく僕だけを見つめる。
僕はこの強さにいつだって憧れ、追いつきたかった。どうして僕と友だちになってくれたのと聞いた時は「俺様を必要としている、そんな顔をしていたからだ」と言われて思わず噴き出したっけ。今、三千留が僕を必要としてくれている。それなら答えは決まっている。
「僕が三千留からのお願いを断ると思う?」
「思わないな」
しれっと即答する三千留に二人で声を上げて笑った。よくわかっているじゃないか、僕たちの王様は。
「お前たちはよく俺を王様だと言うが、俺を王様にしてくれているのはお前たちだ。愛して守りたいと思える民がいなければ俺はただの人に過ぎない。五喜が、七緒が、旺二郎が、みんなが俺のそばにいてくれるから、俺は王になれる。俺を王にしてくれてありがとう。俺を善王にするか、悪王にするかは五喜たち次第ということだ。せいぜい励めよ」
美しい青い瞳がいたずらげに光り、僕の顎をツンと突っついてくる。思わずまた笑って「善王にするために励みますよ」と背筋を正した。三千留は静かに頷くと、ひらひらと僕に手を振り白いリムジンへ乗り込んだ。その姿が見えなくなるまでしっかりと見つめると、べっとり肌にまとわりつく風が僕を撫でる。気持ち悪いはずなのに、それを感じないのは、王様のおかげだろう。
古典で一位を取ったら、一志さんに話したいことがたくさんある。少し前まではあったはずの不安は、未来への希望に変わっていた。
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