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五年も待つな_04

「一志さんが採点したから知っているとは思うけど」  終業式を終え、生徒にとっては待ちに待った夏休み。僕にとってもなによりも待っていた日。  一志さんとソファーに腰を下ろして、にっこり微笑んで古典のテスト用紙を見せる。まぎれもなく百点。今まで二番を貫いてきた僕にとって、初めての百点だ。  一志さんはテスト用紙を視界の端に入れ「まあ、俺が採点したから知ってるが、おめでとう」と妙に緊張している。テスト返却日までの時間、きっと一志さんは僕の気持ちにどうやって向き合うか、真剣に考えてくれたのだろうことが伝わってきた。  テスト用紙と眼鏡をローテーブルに置いて、前髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。広尾五喜からただの五喜になり、一志さんのほうへと手を伸ばす。一志さんは大袈裟に肩を跳ねるから、少し笑ってしまう。 「そんなに緊張しなくてもいいのに」  僕まで緊張しちゃうんだけどと唇を尖らせると、一志さんは申し訳なさそうに眉尻を下げる。そんな顔しなくていいよと一志さんを抱き寄せて、僕の腕の中に閉じ込める。ばくばくうるさい心臓の音が聞こえたのだろう、一志さんは「俺の緊張が移ったみたいだな」と小さく笑って背中を優しく撫でてくれた。その手に撫でられると心の底から安心するのに、いまだに心臓はばくばくしている。いっそ心地いいほどに。 「……さっきまではいろいろ考えてたんだけど、まいったな、人って極度の緊張状態に陥ると頭が真っ白になるんだね、初めて知ったよ」  今まで僕が女の子たちにしてきた告白は、嘘で塗り固められた告白でしかなかった。  僕のことが好きな女の子たちの中から一番聡明な子を選び、ちっとも好きじゃないくせに「好きだよ」と告白してきた。なんの緊張もなかった。そりゃそうだ、好きじゃないのだから。女の子たちは泣いて喜び「五喜くんの彼女になれるなんて夢みたい」と言う。だから僕は「夢だったら困るな」と言って優しくキスをする。そんな恋愛ごっこの繰り返ししかしてこなかった。  好きな人を前に本気で思いを伝える、ものすごく簡単なことに思えて、なによりもむずかしい。その上で両思いになるなんて奇跡みたいな確率だ。  一志さんは僕の胸から顔を上げると、するりと今度は頬を撫でてくれる。思わず顔を傾け、ちゅっと一志さんの掌にキスをする。じわじわ恥じらいを頬に浮かべる一志さんがあまりに可愛くて「あー……、一志さん、好き」と自然と口からこぼれ落ちた。 「格好つけた愛の告白をしようと思ったけど駄目だ、ぜんぜん格好つけられそうにないや。だから、頭の中にあることそのまま言語化するよ。僕は、一志さんのことが好き、大好きだ。今も、未来も、どの一志さんも、僕が独り占めしたいんだ。一志さんがいてくれたら、僕はなんにだってなれる。一志さんにも後悔させない。僕を選んでよかったって、毎秒思わせるように努力するから、だから、五年待てなんて言わないでよ、今、僕のものになってよ」  とんでもなくダサい告白だ。その上、涙が止まらない。悲しくも、つらくもないのに、馬鹿みたいに涙が出る。必死すぎると涙が出るなんて、初めて知った。  僕につられたのか、一志さんまで泣きそうな顔をしている。 「なんで一志さんまで泣きそうなの」 「……五喜の告白に、グッと来たからかな」  えっと声を上げる前に、一志さんの腕が僕の首に回り、境い目がわからなくなるほどに抱きしめられる。ばくばくばく、尋常じゃない心臓の音。僕のものか、一志さんのものか、わからなくなる。 「もう五年待てなんて言わない、もう待つな、俺だって待てない、今の五喜も、未来の五喜もぜんぶほしい。五喜のぜんぶを俺だけに、くれ」  夢みたいだ。  ぽつりとそう呟いて、一志さんを抱き潰して二人でソファーに倒れこんだ。  今なら僕に嘘の告白をされて、夢みたいと泣いた彼女たちの気持ちがわかる。夢みたいに、一志さんは僕にとって都合のいい言葉ばかり並べてくれている。夢なら覚めてほしくない、ずっとこの夢を見ていたい。  ゆっくり一志さんの両頬に触れる。すべすべとやわらかい。くすぐったげに一志さんはまつげを震わせて、恥じらいがちに僕の唇にキスをした。 「これでも夢だって言うのか」 「……言わない、夢だったら嫌だ、ねぇ、一志さんも僕が好きなの、ちゃんと一志さんの口から聞きたい」 「お前なら今のでわかるだろ」 「わかんないよ、ぜんぜん」  言葉にしないと伝わないことってあるよね。  そう言って、一志さんの両頬をがっちりと掴む。逃げ場がなくなった一志さんは、眉尻を下げるとうぅと声にならない声を上げ、みるみる顔中を赤く染める。この可愛さはきっと夢じゃない。現実の一志さんしか生み出せない可愛さだ。夢みたいだけど、夢じゃないんだ。 「俺は、五喜のことが」 「うん」 「……五喜のことが、好きだ……っんん!」  一志さんが言い終わると同時に抱き上げ僕の膝に乗せながら、やわらかい唇全体を覆った。  優しいキスがしたかったはずなのに、余裕がなさすぎてできそうにない。呼吸まで奪い尽くす獣みたいなキスを何度も何度も繰り返し、一志さんのスーツを脱がしていく。上着を、ネクタイを、床に放り投げる。シャツのボタンを外しながら、空いた手はシャツの中に潜り込ませ、一志さんの肌を堪能するように撫で回す。この細い腰も、薄いお腹も、敏感な乳首も、もう僕だけのものなんだと思うと、それこそ獣みたいに興奮する。  今日は、今日からは、獣になってもいいんだ。一志さんの心を、体を、朝までたっぷり堪能しよう。

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