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母親のすべて

「ねぇ、あのCM見た?」 「見た! ウェブ版も見たんだけど、五喜くんエロすぎるっしょ」 「それなーー! 相手役のモデルさんもセクシーすぎて即口紅買っちゃった!」 「あの褐色美人、めっっちゃ色っぽいよね! 五喜くんとお似合いすぎ! 誰なんだろー」  相手役のモデルさんがセクシーすぎるは全面的に同意するよ。口紅買ってくれてありがとう。  心の中で呟きながら、先輩たちの横を通り過ぎる。彼女たちの視線が僕のほうへと向いていることを感じながら、にっこり微笑む。 「五喜くんがわたしに微笑んだ!」「いや私だから!」「もーそんなことどうだっていいでしょ! 同じ空気吸えることがマジで最高!」  きゃあきゃあ騒ぐ先輩たちに小さく笑っていると、となりにいた三千留が口角を緩く上げ僕の顔を覗き込んでくる。 「CM効果で予想以上に賑わっているな」 「ちょっと賑わいすぎだけどね。学校の中でもいきなり写真撮られて油断も隙もないよ」 「そこはプロとしてどんな角度から撮られても美しい顔を披露しておけ」  なかなか難しい要求だと思いながらも、この美しき社長は『どんな角度から撮られても美しい顔』をキープするのだろう。それならば、僕もその要求に応えなければならない。 「いついかなる時も美しい顔をキープしてみせるよ、だけど少しくらい休まる場所もほしいよね」 「来年までの辛抱だ、我慢しろ」 「来年?」 「百花に芸能科を設立する」  百花に芸能科? もしかして、僕のために三千留が? 白金家ならそれくらいやってのけそうだ。  目を丸めて三千留を見つめると「お前だけのためじゃないぞ」ふっと笑った。 「事務所に所属していない生徒の中から優秀なやつは『3Bloom』に入れる。だから、五喜のためというより事務所に優秀な人材を入れるためだな」 「芸能科って授業は特殊なの」 「普通科同様の授業もあるが、選択授業としてダンスや演技、音楽、芸術などの講師を呼ぶ予定だ」 「思ったより本格的だ」 「当たり前だろう。俺様が関わっているんだ、適当なことは許さない。すでに芸能活動をしている者、真剣に目指す者にとって最善の学び舎になるようにプロデュースする」  そういえば僕の誕生日の時に言っていたっけ、「事務所を設立し自ら広告塔になり、人材を集める。才能ある若者を援助し、育成する予定だ」と。着々と三千留は夢を現実にしている。  あの時は、三千留との差を見せつけられた気がしてちっとも笑えなかった。だけど今は違う。『五喜』として三千留を支えることができるからだ。 「芸能科の看板になれるように頑張るよ」 「なってもらわないと困るぞ。芸能科のポスターはお前で決まっているからな」 「それは初耳だね」 「初めて言ったからな――それと、一つお前に褒美をやるぞ。担任は一志にしてやる」  それは最高のご褒美だ。今までより一志さんに関わる機会がぐっと増える。だけど、三千留に担任を決める権限もあるのかと末恐ろしささえ感じる。 「……そこまで三千留に決定権あるの?」 「俺様を誰だと思っている」  三千留の人差し指が僕の顎をツンと突く。  三千留がなにを言わせたいのか、僕がなにを言うべきなのか、わかりきっていた。 「僕たちの王様でしょ」 「正解だ。転科試験は十一月だからな、お前の頭ならなんら問題ないと思うが――問題は旺二郎だ」 「旺二郎も転科させるの? もしかして、七緒も?」 「ああ。七緒は音速エアラインのマネージャーになる予定だからな、芸能に携わる者として転科したらどうだと進めたら了承してくれた」  音速エアライン――僕と同じく『3bloom』所属のロックバンド。八月にデビューしたかと思えば、デビューシングル『僕のセブンスター』で配信一位を獲得。飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにこのことだろう。七緒のバイト先の先輩である月島音八がボーカルだったことは「ふぅん」と思ったくらいだが、三千留の専属運転手である千昭さんがベーシストだと知った時には心底驚いた。「千昭が輝く場所はここではない」と三千留が運転している千昭さんに言っていたが、ああ、そういうことだったのかと腑に落ちた。 「だけど、旺二郎は違うでしょ」 「あいつ、絵の才能があるだろう。アーティストとして俺様の事務所に所属させたくてな。それに旺二郎にサラリーマンは向いていないだろうからな、俺様が一生面倒を見てやろうと思っている」 「千昭さんや歩六さんに聞かれたら誤解されるよ」  どうして? 青い瞳を丸めて首を傾げる三千留にため息を吐いた。千昭さんと歩六さんも天然すぎる恋人を持つと大変だなと額に手を当てると、ブレザーの内ポケットでスマホが震える。嫌な予感しかしないと恐る恐る手を取ると、ああ、やっぱりとまたため息がでていた。 「五喜、どうしたんだ」 「……CM効果で賑わっているなぁと思って」  ディスプレイに表示された『広尾清恵』。事務所に所属する際、父に許可をもらい同意書にサインを書いてもらった。だけど、育ての母にはなにも言っていない。今の今まで。きっと、父もなにも言っていないのだろう。あのCMが流れ始めてから、何度も母からの着信が入っているけれど、いまだに折り返せていない。 「清恵か」 「……うん」 「俺様から説明しようか」 「それじゃあ駄目でしょ。僕がちゃんと説明しないと。今度の休み、実家に帰るよ」  電話だと、感情的になった母に切られるだろう。だから、目と目を見て話すべきだ。眼鏡をとり、前髪を掻き上げ、ちゃんと目を合わせて話したい。 「五喜、良い男になったな」  三千留が僕の肩を叩く。ふと前を見ると、愛しの一志さんが木場潤となにやら話しながら歩いていた。僕の視線に気がついたのか、一志さんは一瞬目を見開いてすぐに教師の顔に戻す。ああ、可愛いなぁとにやけそうになる口元を必死に堪える。 「セクシーすぎる褐色美人とキスしたからかもね」  一志さんたちとすれ違う瞬間、そう囁く。げほごほ、盛大に噎せた一志さんを「神谷先生どーした、風邪か」やる気なさげな声で木場潤が言うから、ますます緩みそうになる口元を噛み締めて必死に優等生顔を作った。

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