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母親のすべて_03
「日曜、実家に帰ろうと思って」
優しく髪を撫で梳かれ、うとうと目を瞑りそうになりながら、となりで寝転がっている一志さんを見つめる。母との電話を聞かれていたし、察しのいい一志さんだ、別段驚いた素振りは見せずに「そうか」と穏やかに微笑まれた。
「一志さんがいなかったら、僕は母さんと向き合えなかったかもしれない」
「そんなことはないだろ。五喜は五喜の手でちゃんと未来を切り開いていける」
「僕はそんなにすごい男じゃないよ。一志さんに出会うまで、万年二番だったんだよ。一志さんに出会って、本気を出そうと思えた。一志さんの一番であり続けたいから、一志さんにふさわしい男でありたいから、母さんとも向き合おうと思えた。全部一志さんのおかげだ」
髪を撫でる手をとり、指先にちゅっと唇を落とす。くすぐったげに笑う一志さんはいつもより幼く見える。普段はキリッと大人っぽいのに、二人きりだと可愛い表情をたくさん見せてくれる。何度だって惚れ直していることを一志さんはきっと知らない。
「俺が五喜を変えたのか」
「そうだよ、一志さんが僕を変えてくれた」
「俺も五喜に出会って変わったぞ」
「えっちになったよね」
「馬鹿」
なにもまとっていない剥き出しの胸を拳で叩かれる。痛みはないけれど、げほっとわざとらしく噎せてみせると、一志さんはやりすぎたかと眉を下げて僕の背中を撫でてくれる。可愛いなぁ、ゆるく口角を上げて一志さんを抱き寄せた。
「えっちになったことは置いといて、一志さんさらに可愛くなったよね」
「……そういうことじゃなくて、五喜に出会って、人を本当に好きになったら、いろんなことに幸せを感じるようになった。当たり前だと思っていたことも、ちっとも当たり前じゃないと知った。五喜のおかげだ」
黒い瞳に真剣さが灯り、自然と息を飲む。
それは、僕も同じだ。一志さんがとなりにいてくれることだって、当たり前じゃない。特別なことだ。だから、一志さんを大事にしたい。優しくしたい。だけど、めちゃくちゃに暴きたい。僕だけのものでいてほしい。一志さんといると欲がつきそうにない。
「……こうやって一志さんがとなりにいてくれることだって、ちっとも当たり前じゃないんだよね。大好きだよ」
「いきなりどうしたんだ」
「一志さんのことが好きっていう気持ちもちゃんと伝えたいと思って。言葉にしなくても伝わるよねって驕っていたらいけないでしょ。もちろん一志さんの体にも僕がどれだけ一志さんを愛しているか伝えているつもりだし、これからも伝えていくよ」
鼻を擦り合わせてから、やわらかい唇に口づける。長いまつげを震わせながら目を瞑る一志さんが可愛くて、何度も角度を変えてキスをする。次第に重ねるだけじゃ満足できなくなり、ちゅうっと吸いつく。
「ん、ぁ……」
一志さんの甘い声がダイレクトに脳へと響いた。
こうなると僕は馬鹿になってしまう。もっと一志さんに触れたい。もっと声が聞きたい。もっと、もっと、欲張りになる。だけど、今日はもう駄目だ。三回も求めてしまって、一志さんはくたくたに決まっている。どうして僕って一志さん相手だと絶倫モンスターになるのだろうか。愛しているのだから一志さんのために我慢しろよ、広尾五喜!
必死に自分へ言い聞かせ、ゆっくり唇を離すと一志さんの肩口に思いきり顔を埋める。こういう時は変格活用を唱えよう。そうしたら、冷静な僕になれるはずだ。
「どうしたんだ、五喜」
「ちょっと変格活用を唱えようかと思って。まずはサ行からにしようかな」
「本当にどうした、頭打ったか」
「いっそ頭打って気絶したいくらいだ」
ぐりぐり、肩口に額を擦りつけていると、子どもをあやす手つきで髪を撫でられる。僕の脳内はえっちな妄想でいっぱいなのにと思いながらも、一志さんの優しさが伝わってくる撫で方にゆっくり目を瞑った。
「五喜、俺もお前のことが大好きだ。だから、一人で悩んだり、我慢したりしなくていい」
いまのはどう考えても反則だ。ムラムラと戦っているタイミングで、大好きなんて可愛いこと言われたら、頭が爆発しそうになる。
我慢しなくていいだって? そんなこと僕に言ったら、明日一志さんは立てなくなっちゃうよ? いいの? いいわけないよ、広尾五喜冷静になれよ。
「あー、もう、一志さん煽らないで、今理性と必死に闘ってるんだ」
「……あ、煽ってない」
「無自覚とか一志さん本当に恐ろしい。ムラムラしないために話を変えようか、来年から芸能科設立されるって話聞いた?」
強引に話を変えようと思いついたのは、三千留から聞かされた芸能科設立の話。一志さんを担任にすると三千留が言っていたけれど、本人にはその話は届いているのだろうか。
「ああ、知っている。来年担任を任されたからな」
「その話ももう聞いているんだ」
「五喜を公私ともにサポートしてほしいって三千留に頼まれてな」
「僕をサポートするために担任引き受けてくれたの? 愛を感じるなぁ」
「五喜のこと愛しているからな」
にっこり軽口を囁いたつもりが、爆弾になって返ってくるのだから一志さんという人は侮れない。
愛している、なんて陳腐な言葉だと思っていたのに、一志さんの口からこぼれるとなんと真摯な言葉になるのだろう。
「あー……一志さんストップ、それ以上煽ったら駄目」
煽られると獣になるってこと、よく理解しているでしょ?
一志さんの耳元で囁いた声は、びっくりするほど欲に塗れている。一志さんの耳がぶわっと赤く染まる姿を見て、口内で唾液が分泌されるのがわかる。
「……我慢しなくていいと、さっき言っただろ? 俺だって、お前のことを愛していると体で伝えたいんだ」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。
一志さんからのお誘いなんて初めてじゃないか? これは夢なのか? むにっと自らの頬を摘むとちゃんと痛い。夢じゃないんだ。なんて幸福な現実。
「なるべく長く一志さんの中にいてもいい?」
「ああ、いいぞ。たっぷり愛してやる」
セックスなんて好きじゃなかった僕に教えてあげたい。好きな人とのセックスは、これほど幸せな気分になり、それだけで心が満たされるのだと。そんな馬鹿なことを思いながら、愛しているを伝えるために一志さんに口づけをした。
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