5 / 84

【01/優斗】キスから始まる⑤

「言い訳があるなら聞く」  彼は裏庭のベンチに腰掛けると、優雅に足を組んだ。傍らに置いた鞄から、手が離れる。それを掴んで逃げることも出来るが……聞きたいこともあるし、とりあえず話してみることにした。 「言い訳?」 「昨日、勝手に帰ったよね?」 「あぁ、だって……混乱して……」 「そんなに嫌だった?」 「そりゃあ、知らない人から急にあんな事をされたら、誰でも嫌がると思うけど」 「知らない人?」  整った顔立ちの眉間に、僅かに皺を寄せる。 「それ、本気で言ってる?」 「当たり前だろ?」  視線を落とす彼の反応は、嘘をついているようには見えない。本当に僕のことを知っているのかもしれない。 「なんで僕の名前を知っているの?」  思い切って聞いてみる。 「昨日、どうやって僕と会って、あの場所に?」  彼が黙っているのをいいことに、知りたい事を吐き出していく。 「なんであんな事、したの?」 「……覚えてないの?」  苦しそうに吐き出した言葉と、哀しみを秘めて揺れる瞳に、ふと罪悪感が芽生え、口をつぐむ。こんな表情をされてしまっては、これ以上何も聞けない。  僕は長期戦を覚悟して、彼の隣に座った。並んで歩いた時、頭一個分は身長差があったのに、今は目線がほぼ一緒だ。そんな悲しい現実に傷つきながら、彼を観察する。  制服も鞄も新品のようだし、そもそも纏うオーラが温室育ちだ。十分すぎる学力に、良く見なくても綺麗な顔で、背も高い。北高が男子校といえど、決して女に不自由しないだろう男なのに、なんで僕なんかにキスしたのか、不思議でならなかった。 「……降参だ」  やがて、少し笑った彼が、そう呟いた。細く神経質そうな指先が髪を耳にかけるが、すぐにサラサラと元に戻る。 「今度は何を読んだんだい? 毎回空想に付き合う俺の身にもなってくれ」 「え、空想?」  彼のだした答えの意味が分からない。だが彼は全てを悟ったように続けた。 「あぁ、そうか。分かったよ。初めて会ったフリがしたいんだね」 「え? あ、いや、フリってゆーか、本気で初めてだから……」  予想外の展開に戸惑う。 「俺は蒼生、君は?」 「ゆ、優斗」  つい答えてしまった。 「ユウ、とりあえずキスをしようか」 「え゛!?」  なんでそうなるのか、理解に苦しむ。 「男同士ですることじゃないだろ?」 「俺だってそう思うよ?」  蒼生が微笑む。言っていることと提案が一致しないこの感じ……やはりヤバイ奴なのかもしれない。 「きみ、おとこ、ぼく、おとこ!」  カタコトで訴えてみたが、蒼生は微笑みを崩さない。 「ユウはユウだろ?」  古いアニメの最終回のような台詞で迫ってくる。 「それ、どういう意味?」 「忘れちゃったなら、思い出させてあげないと、ねっ!」  不意打ちで手首を引かれ、バランスを崩し、蒼生の胸に顔をぶつけた。 「な、なにすっ……」  見上げて抗議しようとした瞬間、まんまと唇を奪われてしまう。 「んっ……」  必死に抵抗するが、蒼生はビクともしない。何度も角度を変えてのキスに、やがて痺れるような感覚を覚える。  嫌だ。嫌なのに、クラクラする。嫌だ……。 「嫌、だ……」  やっと小さく呟くと、蒼生の動きが止まった。 「ユウ?」 「本当に、誰なんだよ……」  ゆっくりと離れる蒼生。信じられないものを見ている、そんな表情だった。次第に哀しみの色が濃くなる瞳を、僕は睨みつけた。 「ユウ、まさか本気で?」 「僕はあんたなんか知らない! 男とキスする趣味もない!」  傷ついたのはこっちだ。なのになぜ蒼生が泣くのか、意味が分からない。 「気持ち悪い……」  怒りを吐き出す。 「最悪だっ」  力いっぱい唇を拭う。 「ユウ、なんで……」 「ユウって呼ぶな!」  鞄を掴み、裏門へ向かう。  授業なんて受けられる状態じゃない。どこへ行きたいわけでもないが、とりあえず1人になりたかった。

ともだちにシェアしよう!