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【04/優斗】僕の母②
「ただいま……」
僕はこの家で、母さんと二人暮らしをしている。父さんは小学1年の時に死んだ。
顔は覚えていないが、写真を見る限り、僕に似ている。……むしろ腹が立つほどそっくりだった。
リビングで鞄をおろし、散らかった室内のゴミを拾う。
と、何の気配もなかったはずが、急に背後からふわりと抱きしめられた。激しい嫌悪感が全身を駆け巡る。
「優作さん……」
父さんの名前は優作、僕の名前は優斗。父さんから一文字貰ったわけだ。
母さんは時々、僕を父さんだと思ってしまう。
「愛してるわ……」
お酒の匂いをプンプンさせた母の手が、僕の胸元を探るように這うと、激しい吐き気に襲われた。
必死に堪え、なるべく刺激しないよう、母さんの手を優しく剥がす。
「僕は優斗だよ、母さん」
振り返り、母の目を見る。勝率は半々の、緊張の一瞬。
僕の名前を耳にして、目を覚ませる日もあるから。でも、ダメな日は――。
「優作さん……あなたなぜ……」
負けだった。現実へ引き戻すことに失敗した。母さんの目を見れば分かる。確実に今日は調子が悪い日だった。
「テレビで言ってたのよ……隣の人にも、道で会った人にも言われたわ。優作さんしか知らないはずなのにっ!」
「母さん、何の話? とりあえず落ちつこう、ね?」
「私の恥ずかしいことをなんで誰にでも話してしまうの?優作さんしか知らないはずなのにっ!みんな知ってるのはなんでよっ!」
「母さん……」
母さんは、いくつかの病気を患っている。どれも精神的なものだ。
1番やっかいなのが妄想性障害で、被害妄想が激しく、スイッチが入ると手がつけられない。
薬を飲んでいれば比較的落ち着くのだが、その薬すら疑ってしまい、最近は飲もうとしない。
無理に飲ませれば、毒を盛られたと警察を呼んでしまう。
「優作さんお願い、私を監視しないで……」
「誰もそんな事してないよ」
「してるわっ!知ってるのよっ!」
「っ……」
母はキッチンカウンターの上にあった瓶をつかみ、僕の左肩を殴った。鈍い痛みに、小さな声が漏れる。
「盗聴までしてっ!私を束縛してっ!気が狂いそうよっ!」
もうとっくに狂っている。殴られながら、冷静につっこむ自分がいた。これが僕の日常だ。
殴り続ける母の腕を止めてはいけない。火に油ってやつだ。
ある程度殴れば落ち着くから、タイミングをみて病院へ電話をして、薬を飲むよう説得してもらえばいい。
いつものことだった。でも、今日の僕は心に1ミリも余裕がなかった。
「全部母さんの妄想なんだよっ!」
イライラが抑えられず、つい母さんの頬を叩いてしまった。母は逆上した。
今、母の相手をするのは無理だと判断した僕は、鞄を掴み玄関に向かう。
が、髪を強く引っ張られた上に床のゴミで滑り、派手に転んでしまった。目を閉じて痛みに耐える僕の上に、母が覆い被さる。
「優作さん、私……」
「うう……」
母は僕の腹に乗り、女性とは思えない力で両腕を押さえつけた。
「ちゃんとあなただけを見ているわ……」
「や、やめっ……」
「だから信じて、監視はやめて、お願いよ……」
母の顔が近づく。何をする気なのか想像はついた。母は今でも父が好きなのだ。夫婦がすることを、僕に求めている。
「んっ……」
全力で逸らした顔の頬に、母のキスを受けた。子供の頃は嬉しかったような気もする。
母の小さな恋人として、無邪気に笑う写真を見たことがあるから、そんな気がするだけかもしれないが。
成長し、母の行動がエスカレートしていくうちに違和感を感じ始め、嫌悪感が膨らみ、やがて諦めた。
目を閉じれば一瞬だ。寝ていればいい。そう自分に言い聞かせていると、本当に嫌なことが一瞬で過ぎ去るようになった。
今日も、諦めよう。とりあえず母さんを落ち着かせないと、近所から苦情が来る。
また引っ越すのは面倒だし、いつものことだ。目を閉じて、眠るだけでいい。早く、早く……。
やがて意識は遠のいた。
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