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【05/蒼生】決意②
図書館の中庭へ移動した。ベンチに座ると、ユウは俯いて、組んだ指をもじもじさせた。
「ここ、どうしたの?」
俺は唇の端を、人差し指でトントンと軽く叩いた。
「え? ……あぁ、ちょっと母さんと色々あって……」
ユウは確認するように、傷口をそっと撫でた。
「そんなことより、今朝はごめんね」
痛々しい笑顔を向けるユウに、胸が締め付けられたよ。
「ショックだったけどね……」
別人のようだったユウが、今度は怪我をして現れた。何か事情があるとしか思えないだろう?
今はとにかく心配で、話を聞きたいと思った。
「ユウこそ母さんと色々って、大丈夫なのかい?」
「話せば長くなるし、どう話せばいいのか分からなくて……」
「聞かせて? 長くなっても構わないから」
「うん、全部話すよ。ずっと話さなくちゃって思ってたんだ」
ユウが顔を上げて、意志を固める様子を、俺は静かに見守っていた。
真っ直ぐな瞳は曇りがなく綺麗で、吸い込まれるような魅力があった。
「あのね、僕……実は二重人格なんだ」
ゆっくりと、でもしっかりと言い放ったその単語は、想定外すぎて一瞬意味が分からなかった。
「はいそうですか、って簡単に信じられる話じゃないね」
「うん……」
二重人格。もちろん耳にしたことはあるし、どんなものかは想像つくけどね、すぐには信じられなかったんだ。
だってそうだろう? 確かに二重人格というのは本当にある病気だ。でも、よくある病気でもない。
恋人が二重人格だなんて、そんなレアな話をすぐに信じられるわけがなかった。でも――
「でも、ユウが二重人格なら、昨日のことや今朝のこと、説明がつく……」
昨日のことも、今朝のことも、冗談にしては悪質な出来事だった。
もう一つの人格が勝手に動いたのだとすれば、それは“仕方ない”の一言で済ますことが出来そうだった。
「今朝のあれは、もう一つの人格なんだね?」
「うん、優斗っていうんだ」
「昨日、ユウが読書の途中で眠ってしまったけれど……」
「そうだよ、起きたのが優斗だ」
「なら、俺が優斗に会ったのは昨日が初めてで、優斗は俺のことを知らなかったのかな?」
「そう、だから優斗は驚いちゃったんだ。ごめんね……」
正直、半信半疑だった。が、ユウは真剣だった。
「実は出会う前から、ずっと二重人格で……ごめん……」
「出会って早々に話すことじゃない。気にしなくていいよ」
「でも、話すタイミングはいっぱいあったのに……」
「今話してくれている、それで十分だよ」
ユウは少しだけ笑った。そして言葉を選びながら、ゆっくりと話してくれた。
優斗のこと、優斗の母親のこと、そして、なぜ人格が2つになったのかを。
「ねぇユウ、俺はユウのことを知らなすぎたね」
いつも笑顔で明るいユウが、こんな重さに耐えながら生きていたなんて……少しも気付かなかった自分に腹が立った。
「それは僕が話さなかったからでしょ」
「いや、俺も知ろうとしなかった。ユウにこんな顔をさせて……恋人失格だね」
ユウの頬に手をあてた。気の利いた言葉は見つからず、救う手段も浮かばず……でも、ユウのために動くと決めた。
「家に帰るのは危険だから、今日は俺の家においで?」
「え、でも……」
「兄が上京したからね、部屋は余っているんだ」
長い目で見るなら、両親にどう話すかは悩むところだけどね。とりあえず今日は大丈夫だ。
「実は、優斗の友達の家でお世話になっているから、そんなに心配しなくても大丈夫なんだ」
「え……」
ユウの頬を撫でる手が固まる。
「そう、なら別に……そうか、お世話に、ね……」
そして、明らかに残念な声を出してしまった。
俺よりも頼りになるご友人とやらに、少し嫉妬してしまったんだ。
すると突然、ユウが吹き出した。
「ちょっと! そんな顔しないでよ」
「そんな顔って?」
「おあずけくらった犬みたい!」
「助けたい気持ち半分、長年の夢を叶える気持ち半分の提案だったからね」
俺は下心を誤魔化すように、髪を整えた。
「ユウと図書館以外の場所で過ごすことは、ずっと夢だったんだ」
「なら、泊まれないけど、少しお邪魔させてもらおっかな」
お腹を抱えて笑っていたユウが、やがて咳払いをひとつ。そして、真剣な目で俺を見た。
「実はお願いがあるんだ」
「お願い?」
「優斗は二重人格のことを知らないから、僕と入れ替わった時に説明してあげてほしいんだ」
今朝の嫌悪感むき出しの彼が脳裏に浮かぶ。無理だと思った。
「説明してあげたいけどね、どうだろう? 彼が俺の話を冷静に聞いてくれるとは思えない」
「でも、優斗にも蒼生を知ってほしいし、良い機会だと思うんだ」
「協力はしたいけど……」
「お願いっ!」
ユウは俺の前に立つと、両手をパァンと勢いよく合わせた。
「前にさ、しばらく図書館に行けなかった時期があるでしょ?」
「あぁ、よく覚えているよ」
「実は僕、消えかけてたんだ」
「えっ!?」
会えない時間にユウを意識した。
そんな甘酸っぱい日々を思い出したのも束の間、衝撃発言に、つい大きな声をだしてしまった。
「だから、もし僕が消えても、蒼生が悲しまないように、っていうか……」
「ユウ……」
「本音は優斗に嫉妬しちゃうんだけどさ、でも、やっぱり僕が消えたらって考えると……」
「ユウ」
「ごめん、今のやっぱナシ! 純粋に優斗を知ってほしいってことで!」
「ユウ!」
ユウと付き合って半年、一度も弱音を吐く姿を見たことがない。
そんなユウが、急にこんなことを言うなんて……いけないね、ユウは一人で悩みすぎなんだよ。
「ユウ、俺は優斗と話をするよ」
「うん、ありがとう」
「でも、優斗はユウじゃない。ユウの代わりはいないよ、優斗だって代わりにはなれない」
「蒼生……」
「俺のユウはユウだけだ。覚えておいて、ね?」
ベンチ脇の花壇で、白く美しいイベリスの花が揺れた。
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