55 / 84
【23/優斗】すれ違い
目が覚めると、だしの香りが優しく漂っていた。
「ごめん……」
キッチンに立つ和馬の背中にそっと謝る。
「ん、起きたか」
振り返った和馬は、優しく微笑んだ。
「あの……さっき僕……ごめん」
僕は寝てしまっただけなのか、それとも和馬とユウの間で何かあったのか……確認したいけれど、聞くのが怖かった。
「いや、オレが悪かった。焦りすぎたっつーか……とにかくごめん」
テーブルにどんぶりが置かれた。安定のちくわうどんだ。
「とりあえず食おうぜ」
箸を受け取る。和馬の笑顔は優しかったけれど、僕の気持ちは晴れなかった。
***
和馬は大会に向けて、日増しに忙しくなっていった。朝も早ければ、帰宅も遅い。学校でも校舎が違うからめったに会わない。一緒に夕飯を食べて、少しだけ話したら、眠る。そんな毎日だった。
「電気消すぞ」
「うん」
返事をすると、和馬が電気を消した。暗闇に目が慣れた頃、僕は勇気を出して起きあがり、ベッドへ歩み寄った。
「ねぇ和馬」
「ん……どうした?」
和馬が枕元の照明スイッチを1度だけ押す。オレンジ色の小さな明かりが、僕たちを優しく包み込んだ。
「一緒に寝たい」
かなり勇気を出して言った。和馬は少し驚いた表情をして、微笑みながら頭を撫でてくれた。
「シングルで狭いし、オレも優斗も寝相悪いし、別々の方がいいと思うぞ」
断られる気はしていた。でも、いざ断られると傷ついた。
「ごめん、ワガママ言った。大会近いし、一緒に寝たら疲れちゃうよな……」
「あぁ、ごめんな」
「ううん、大丈夫。僕こそごめん……」
ベッドから離れて、自分の布団に潜り込む。和馬に言いたくても言えず、飲み込んできたものが大きくなり、胸の奥で渦を巻いていた。
和馬はもう僕のことを好きじゃないのかもしれない、この前ガッカリさせたから怒っているのかもしれない、こうやって毎日入り浸るのはやっぱり迷惑なんじゃないか……どんどん悪い方へ考えてしまう。
僕は、声を殺して泣いた。
***
僕たちの関係は友達なのか、恋人なのか……よく分からなかった。キスをしたあの日からそういう話をしないし、それっぽい事も起こらない。話をしたくても、和馬が大会に集中している姿を見ると言い出せなかった。
「いつもごめんな」
夕食から1時間後、和馬はジャージに着替えながら、いつもの台詞を口にした。
「大会前なんだし、気にしなくていいから」
僕もいつもの台詞を口にする。
「応援してるから、頑張って」
「あぁ」
玄関で靴を履く姿を眺めていると、顔をあげた和馬と目が合った。
「たまには一緒に走るか?」
「僕はいい。和馬のペースじゃ走れないから」
「ゆっくり走ってやるよ」
「ごめん、走るのは……」
「だよな。じゃ、行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
こんな調子で、あまり一緒にいられない。僕も走って、コミニュケーションをとるべきなのかもしれない。でも、僕は運動が苦手だ。和馬に迷惑をかけるのは嫌だった。
***
「あ……」
そんなある日、教室で眠ってしまったらしい僕は、蒼生の部屋で目を覚ました。
「ご、ごめん……間に合わなかったね」
蒼生が珍しく慌てた様子で、服の乱れを直していた。
痛む頭をおさえながら、ふと自分が服を着ていない事に気がつく。
「っ!?」
声にならない悲鳴をあげながら、慌てて毛布にくるまった。
「今日はいつも以上に急だったから……ごめん、着替えが済むまで廊下で待ってるよ」
蒼生は僕の服をナイトテーブルに置くと、気まずそうにドアへ向かった。
「待って」
咄嗟に呼び止める。蒼生はドアノブから手を離し、振り向いた。
「責めるのかい? 言っておくけど――」
「そうじゃない」
責めたい気持ちがないわけじゃない。ただ、ここ数週間ずっとモヤモヤと考え、生み出されたコンプレックスを刺激されて、言わずにはいられなかった。
蒼生が僅かに首を傾げる。
「そうじゃなくて……ユウは出来るんだな」
「出来るって……」
記憶はなくても分かる。身体に残る感覚が、2人のした事を告げていた。
「ねぇ、楽しんだ? 満足?」
涙が溢れた。
また和馬に求められたとして、きっと僕は応えられないだろう。恋人らしいことをしてあげることは難しい。身体に染みついた忌々しい記憶が、あんなにもあっさりと蘇った。嫌悪感と恐怖感でいっぱいになり、すぐに意識が遠のいてしまう。
ユウの行動は他人の行動だと、だいぶ割り切れるようになっていた。何を聞かされてもピンと来ないからというのもあるが、いちいち想像して傷つくのが馬鹿らしくなってきたため、考えないようにしているところが大きかった。だから蒼生とユウを責める気持ちは、かなり薄くなっていたのに……。
なのに今、僕はユウに嫉妬していた。
「幸せ? 気持ちいい? 何度もしたくなる?」
「……優斗?」
「僕の気持ちを無視して、僕の身体に……」
「それは……ごめん。でも――」
蒼生は戸惑いながら手を伸ばした。
「触るな!」
僕はその手を払いのける。
「僕なんか……」
両手で頭を抱えこむ。
「僕なんか消えちゃえば……」
誰かに愛してもらうなんて、僕には夢のまた夢だった。心が弱いから病気にもなった。全てユウに譲って、僕なんか消えてしまえばいい。
「僕が消えれば、あおぴーもユウも……和馬だって……」
僕さえ消えてしまえば、全てが上手くいくような気がする。何もかもが嫌になり、本気で消えてしまいたいと思った。
ともだちにシェアしよう!