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【28/優斗】4人暮らし
それは、とても奇妙な暮らしだった。
「じゃ、いってくる」
「いってきます」
玄関の扉が開く。
逆光の中で、和馬と蒼生が微笑んだ。
「うん、いってらっしゃい」
僕は目を細めながら返事をする。
そしてゆっくりと閉まった扉に歩み寄り、そっと鍵をかけた。
扉の向こう側の足音は、すぐに消えた。リビングに戻り、壁に貼られた2つのメモを眺める。
「和馬が17時、蒼生が19時、か……」
2人の時間割だ。
和馬が先に帰る日は、僕にとってはアタリの日だった。口元を緩ませながらキッチンへ回り込む。
洗い物をしながら、和馬が観たいと言っていた映画のことを思い出した。この後、レンタルしに行くのも良いかもしれない。だが和馬なら、近所を散歩する方が喜ぶかもしれない。
何をしようか、考えるだけで楽しかった。まだ見送ったばかりだというのに、早く和馬に会いたかった。
だが、いつもそれは突然やってくる。窓辺の花が揺れ、かすかな甘い香りを嗅いだその瞬間、いつかの母を思い出し、強い吐き気に襲われた。
立っていられず座り込む。そして、意識は遠のいた。
***
目を覚ますと、ソファに横になっていた。
「映画……」
アクション映画を観る予定が、テレビには王道ファンタジー。髪を撫でる優しい手の持ち主を見上げると、蒼生が微笑んでいた。
「ん?」
膝枕をされていると気付き、慌てて体を起こそうとした。が、頭がずきりと痛み、起き上がることは出来なかった。
蒼生は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに理解したようだった。
「ユウは眠ってしまったんだね」
戸惑うように、蒼生の手が離れる。
「なら、これはまた今度だ」
そしてリモコンを操作してDVDを停止した。画面が切り替わり、歌番組が流れる。静かなバラードだった。
「嫌かもしれないけど、少しこのままでいたほうがいい」
蒼生の言葉を無視して、今度はゆっくり起き上がろうと試みた。が、やはり上手くはいかなかった。
「っ!」
「ほら、無理しないで」
「和馬を呼んで……」
「俺はね、優斗とも仲良くなりたいと思っているんだ。少しくらい、頼ってもらえないかい?」
蒼生は良いヤツだ。でも、頼りたくない。和馬を裏切るようで嫌だった。こめかみを圧迫しながら、声を絞り出す。
「和馬を呼んで」
「……分かったよ」
頭上でスマホのタップ音が響く。すぐに部屋から和馬が現れた。
「優斗、大丈夫か?」
「和馬……うん、大丈夫」
和馬に支えられて、ゆっくりと半身を起こす。蒼生は立ち上がり、和馬と入れ替わった。
「じゃあ、よろしくね」
「あぁ」
2人のこのやり取りは、一緒に暮らし始めてから、よく目にする光景だった。蒼生と和馬の複雑な状況を眺める度に、胸が痛む。2人は慣れたようでいて、今でも傷ついていると分かるからだった。
振り返らずに自室へ消えた蒼生は今、何を考えているのだろう?今まで自室にこもっていた和馬は、何を考えていたのだろう?
僕のせいで、2人に迷惑をかけている。特に和馬の進路を変えさせてしまったことは、今でも間違いだったような気がして、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でもそれを口にしたところで、和馬は大丈夫だと言うに決まっている。だから何も言えなかった。
「もう寝るか?」
「何時?」
「21時」
「すぐ治まると思うから……」
「分かった」
和馬の大きな手のひらが、僕の肩をそっと撫でた。和馬の優しさを受け取り、涙が滲む。
「それより、ごめん……」
「何が?」
「せっかく和馬が早く帰る日だったのに……和馬が観たいって言ってた映画を一緒に観たり、散歩したり、色々したかったのに……」
目が覚めると、いつもそこには蒼生の顔があった。蒼生は悪くない、それは分かっている。でもショックだった。無意識とはいえ、和馬を傷つけるような行動をとる自分が、嫌でたまらなかった。
「なのに……僕は……」
「そうだな、寝過ぎたな」
「え?」
「ずっと待ってた。起きたなら、今から一緒に散歩でもするか?」
「和馬……」
「夜桜が綺麗だぞ」
微笑む和馬。この優しさに、僕はいつまで甘え続けるのだろうか。
和馬も蒼生も、僕を責めたことはない。なぜ責めないのだろう?2人を苦しめているのは僕なのに……。
なぜ僕は、蒼生じゃダメなのだろう?
なぜユウは、和馬じゃダメなのだろう?
いっそ同じ人を好きになれれば、僕の内側だけの問題だった。和馬と蒼生、どちらか一方は、もっと普通の恋が出来たはずだ。
なぜ僕とユウは、違う人を好きになってしまったのだろう……。いくら考えても答えは出ない。でも、考えずにはいられなかった。
「夜桜、どこで咲いてるの?」
答えの出ないそれを心の中にしまいこみ、僕はゆっくりと立ち上がる。そして冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、半分ほど一気に飲んだ。
「駅前の公園。提灯も飾ってあったぞ」
和馬も立ち上がり、心配そうに僕を覗き込む。
「なら、屋台もあるかもね」
「あぁ」
「行ってみよう」
「大丈夫か?」
「うん、もう平気だから」
本当はまだ頭痛は治まっていない。でも、和馬との思い出を増やしたかった。
「行こう」
だから鍵と財布をポケットに突っ込み、玄関へ向かった。
***
それは、とても奇妙な暮らしだった。
僕、和馬、ユウ、蒼生の4人暮らしだが、家の中に4人が揃うことはない。
和馬と蒼生は喧嘩をすることもなく、僕とユウに合わせて立ち位置を変える。こんな不自然が、長く続くなんて思ってはいないけれど……だからって、僕にはどうすることも出来なかった。
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